日本降伏を前に、駆け引きに奔走する米国とソ連(4)

6月22日「最高戦争指導会議」が開かれ、ソ連を仲介とする和平工作を模索し、ソ連との間に協定を7月はじめまでに結ぶ方針が決められました。日本の指導者の目が和平の方向に向いた日である、と半藤は言っています。同じ日に沖縄戦が日本軍の壊滅をもって終了。しかし、表向きは依然として「最後の一兵まで」が叫ばれ、全国で村民総出、女性も竹やり訓練をはじめます。筆者は山口県の田舎に居ました。当時5才で戦争のことはよく覚えていませんが、近所の人たちと一緒に防空壕に非難する訓練をしたとか、何となく雰囲気は覚えています。

引き伸ばされたソ連からの返事

ソ連はまだ日本が強力な軍隊を持っていると思ったのでしょうか、ドイツ降伏後三ヶ月で日本を攻撃するのに有利になるよう、和平工作などする気持ちはさらさらなく返事を引き延ばしていました。

原子爆弾使用の検討

半藤によれば、ドイツ降伏後のヨーロッパの処理をめぐる交渉で、アメリカはソ連の強欲さに気がつき、ソ連参戦前に何とか日本を降伏させたいと思うようになっていました。しかし、どうも日本は徹底抗戦を続けるつもりらしいと思い、何とか戦争を早く終わらせる手立てはないものかと考え、原子爆弾が登場しました。

膨大な費用と人間を投入して研究や実験を重ねた結果、研究室では核分裂の実験に成功しましたが、爆弾としての実験は未だでした。1945年(昭和20年)7月16日、アメリカはニューメキシコ州のアラマゴードで初の実験が行われ、成功しました。そもそも原爆は、ドイツがつくるとたいへんということでアインシュタイン博士がルーズベルト大統領に手紙を出し、アメリカが製造をはじめたものです。はっきり原爆製造の目途がついたのは1943年(昭和18年)5月ごろだそうです。当時から標的は日本だったようです。何故ドイツではなくて日本なのか、については憶測の域を出ませんが、ドイツで生活をしたことがある方に聞いてみたところ、「ドイツにはアメリカが生命を守らねばならない人たちがいた。意識をしたかどうかはともかく、人種問題も影響していると思う」というコメントをもらいました。

ポツダム宣言

7月26日、日本に降伏を勧告したポツダム宣言が発せられました。しかし、原爆投下は、このポツダム宣言が発せられる前の7月24日に命令が出されていました。ソ連参戦前に戦争を終結したいという強いアメリカの気持ちが働いた、と半藤は書いています。アメリカは、日本がポツダム宣言を受託しないので原爆を落としたといい続けていますが、どうもあやしいようです。