「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ・・・・・・」

第一回の「聖断」

ポツダム宣言受託そのもの流れはスムースに決まり、「どのように受託するか」が最高戦争指導者会議のテーマになったことは前回書きました。東郷茂徳外務大臣は「天皇の国法上の地位を変更しない」つまり天皇制を護持することだけを条件とすべきことを主張。米内海相も賛成。しかし、阿南さん、梅津さん、豊田さんの軍部側3人は「∪衫里肋範囲で小兵力であること」「I霑解除は日本人の手に任せること」「だ鑒箸僚菽屬脇本人の手に任せること」の3つも付け加えるべきだと主張しました。この会議の途中に、第二の原子爆弾が長崎に落とされたことが伝わりました(当初は小倉が目標でしたが、雲っていたので変更になったようです)。最高戦争指導者会議で結論がでず、取り敢えず休会し閣議を開きましたが決まりません。ついに午後十時半、みながくたびれ果てて、これもいったん休憩となります。鈴木首相は会議を何回開いても決まらない、ということで、ならば内閣不一致の議論をそのままに天皇陛下に説明し「聖断」を仰ごうと考えました。若干ペテンにかけたようなところはありますが、とにかく8月9日11時50分、御前会議が開かれ、天皇は「私は外務大臣の意見に同意である」と聖断を下します。8月10日午前2時30分をやや過ぎていました。