「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ・・・・・・」

そうした状況の裏側で、陸軍ではクーデタにより鈴木内閣を倒し、軍部による内閣を作り、これまでの動きをすべてご破算にし、徹底抗戦にもっていく、というクーデタ計画が着々と進んでいました。14日朝陸軍大臣と梅津総長が会談しすでに出来上がっているクーデタ計画を正式に承認することになっていました。しかし当日ご両人はこれに反対し、クーデタ計画はパーになりました。これを受けて中堅クラスの人々が「それなら俺達だけでやるか」という動きになりかけたところ、最高戦争指導者会議の構成員と閣僚全員による合同会議が開かれることになりました。

例により、いくら議論を重ねても結論が出ず、鈴木首相が天皇の聖断を再び仰ぎました。その時の天皇の言葉は、玉音放送と同じようなものであったようですので、ネットで拾った口語訳を掲載しておきます。

[玉音放送:口語文訳]
 私は、世界の大勢と帝国の現状とを深く考慮した結果、非常措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠良なるあなた方臣民に告げます。
 私は帝国政府をして、米英支蘇(米国、英国、支那、ソビエト)の四国に対し その共同宣言を受諾する旨を通告させました。
帝国臣民の無事平穏を図り、世界の国々との共栄を喜びとすることは、皇国の先祖たちの残してきた遺訓で私も行ってきたところであります。
さきに米英二国に宣戦したのも、帝国を守り、東亜(東アジア)の安定をこい願う故であり、他国の主権を排し 領土を侵すようなことは、もとより私の意思ではありませんでした。
しかるに、開戦後四年が経ち、我が陸海軍の将兵たちは勇敢に戦い、我が幾多の官吏役人が精力的に励み、我が一億の庶民は公に身を捧げ、各々最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は好転せず、世界の大勢もまた我々に有利となりませんでした。
更に、敵は新たに残虐な爆弾を使用してむやみに罪なき者を殺傷し、惨害の及んだところは本当に計り知れません。
そして なおも戦争を継続するならば、しまいには我が民族の滅亡を招くのみならず、人類の文明を破壊することになりかねません。
このような事となったなら、私はどうやって億兆の国民と子孫を保つことができましょうか、皇国の先祖たちにどう謝ればよいでしょう。このようなわけで、私は帝国政府をして 共同宣言に応じさせることにしました。
 私は帝国と共に、終始東亜の開放(東アジアの植民地からの解放)に協力してきた諸国に対し遺憾の意を表明せざるを得ません。
戦陣で死に、あるいは殉職し、心ならずも命を落した帝国の臣民やその遺族に思いを致せば、身が張り裂けそうです。
また、戦傷を負い、災禍を被り、家業を失った者の厚生(再起)に至っては私の深く心を痛め、心配するところであります。
思うに 今後帝国の受ける苦難は もとより尋常ではないでしょうし、あなた方臣民の心の奥底の心情も私にはよくわかります。
しかし 私は時運のおもむくところ、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、永遠(とわ)の世のため平和を切り開きたいと思います。
 私は、我が国を守り、忠実で良きあなた方臣民の真心を信頼し、常にあなた方臣民と共にありました。
 しかし感情の激化から、みだりに事を荒立て、同胞を仲違いさせ、互いに時局を乱し、このため大きな道を誤り、世界の信用を失うようなことは、私が最も戒めるところであります。
これらを国を挙げて子孫に伝えていき、神州(神の国)日本は不滅であると信じ、任務は重く道のりは遠いことを思い、総力を将来の建設へ傾け、道義をよく守り、固い信念を持ち、我が国の輝かしい真価を発揮し、世界の流れに遅れぬようにしていきましょう。
あなた方臣民よ、私の意味するところを理解し、それに沿って行動して下さい。

この天皇の決断によって、戦争は終結することになりますが、手続き的には、閣議がもう一度ポツダム宣言を受諾して降伏することを一致して決め、さらにその閣議決定を鈴木首相が改めて天皇陛下に奏上するという手続きが取られます。8月14日午後11時、日本のポツダム宣言はふたたびスイス、スウェーデン駐在の日本大使を通して連合国に通達されました。日本では玉音放送が8月15日正午に行われることになりましたので、終戦記念日が8月15日になっていますが、戦争は14日に終わったのです。著者もこの玉音放送のときの様子は覚えています。家族全員がラジオにかじりついて聞いていました。ウエーブがかかって聞きにくかった覚えがあります。