今回は「国を守ること」に関するものを集めてみました。

(1) 普天間問題はもはや「時間切れ」−2006年以降(ケビン・メア:元米国務省日本部長)
(2) 湾岸戦争の蹉跌―1990年(岡本行夫:外交評論家)
(3) 「平和利用」に隠された「核開発」−1954年(小出裕章:京都大学原子炉実験所助教)

(1) 『普天間問題の最初の躓きは、自民党政権時代に遡る。それは増大し続ける中国の軍事的な圧力を認識できず、立ち向かってこなからだ。そのため彼らは在沖縄海兵隊の存在が日本防衛、この地域全体の安保にいかに重要かを、うまく説明できなかった。一方で、中井真知事や沖縄の関係者は普天間問題でしばしば政治ゲームを行ってきた。06年から09年にかけて、自民党政権は沖縄の合意を得ようとするため、移設計画の基本部分も再交渉可能だという印象を与えてしまった。悪いことに、09年に政権の座についた民主党は(以下、前々首相の言動に始まるドタバタについては割愛)多大な被害をもたらしたのだ』という主張。そして残された選択肢は(嫐邯徹楡澂普天間固定のどちらかしかないが、両方の選択肢とも、米国は運用上は受け入れられる、と付け加えています。

「増大し続ける中国の軍事的な圧力を認識できず」という部分については、著者が1968−69年アメリカで勉強させてもらっている時に「中国の脅威」を多くの一般アメリカ人が口にしていましたが、著者にはピンとこなかったという経験があります。国の安全への脅威に対する認識の差を感じさせられました。

(2) 『日本は湾岸戦争の際、人的貢献を見送り、130億ドルもの拠金も国際的には冷たく受け止められたことを指摘しています。それ以来、日本には「危険は負担せず逃げ回り、カネだけ出すキャシュデイスペンサー国家」という評価が長きにわたってまとわりつくことになった』

湾岸戦争に協力した国々にアメリカが感謝の意を述べた当時の放送で聞きましたが、「日本」の名前は出て来ませんでした。このことは今では日本でも広く知れ渡っていると思います。これも又アメリカで勉強させてもらっている時の経験ですが、もし戦争が起こったらどうするかをアメリカの子供たちに聞いてみましたが、異口同音に「鉄砲を持って戦場に行く」という答えが返ってきたのを今でも思い出します。
(3) 小出さんは原発を批判している学者として有名ですが、『「原子力の平和利用」を標榜しながら実は核兵器保有能力を手にいれることが、NHKの「“核”を求めた日本」でも明らかにされた』と原発批判を展開されています。氏は原子力に関わる者として、日本が進路を誤った時を挙げるとするならば中曽根康弘が1954年に国会に突如原子炉建造予算を提出し、大きな議論もなく成立したことだと述べています。以後「核」と「原子力」の使い分け(原子力は平和利用で善であるという宣伝が強くなされた)が行われたと糾弾しています。技術には「軍事利用」と「平和利用」の区別は確かにありませんが、著者も「騙されて」いました。事の是非は別にして、もし日本が「核」を手に入れていたならば、全く異なる歴史が展開されたのかかも知れません。