今回は、今日の深刻な経済状況と財政危機を招いた元凶は何だったかについてまとめてみました。

(1)プラザ合意の時「大人」になるべきであった−1985年(浜矩子:エコノミスト)
(2) 国の成り立ちを錯覚−バブルの発生と崩壊(与謝野馨:前経済財政担当相)
(3)「円安」という麻薬−1990年以降(野口悠紀雄:早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問)
(4)存在しなかった「高橋是清」−1993―95年(水木楊:作家)
(5)最も失われた三年−2009―11年(竹中平蔵:慶応大学教授)


(1)プラザ合意:一言で言えば「円高誘導」。当時の内閣総理大臣・中曽根康弘、大蔵大臣・竹下登、日銀総裁・澄田智らによって決断されたこの政策は、日本がアメリカの赤字解消を容認した対米妥協策との解釈が一般的。当時のレートは1ドル=240円程度であったので、今日ではその3倍も円は高くなっていることになる。
『日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる』ハズだった。日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストのような日本経済のファウスト症候群の原点だった、と浜氏は言う。その結果が、言わずと知れたバブル経済の出現だ。先送りにされた課題が本日我々に重くのしかかっている。

(2)『プラザ合意以降、円高不況の声の中で大きな経済対策をやり、バブルを許し、地道な「ものづくり」が軽視され「財テク」がもてはやされた。資源のない狭い国土の日本が避けることのできない経済の成り立ちは、世界に通用する「もの」や「サービス」を作り出し、それを輸出して、その収入で日本人が必要とする資源などを購入するという極めてシンプルなことである。』『ものづくりという王道を行くことが日本復活につながる』

(3)『1980年代後半以降、世界経済に大きな変化が生じた。それは、新興工業国の成長である。90年代以降は中国工業化の影響が顕著になり、世界市場での日本のシェアは徐々に浸食されることになった』『これに対して日本は、90年代半ば以降、金融緩和と円安政策によって輸出を増加させる経済政策を行った』『日本の貿易黒字がアメリカに還流し、アメリカの住宅価格高騰やサブプライムローンの増加を招いた』『この大規模なバブルがはじけ、為替レートは一挙に円高に向かった』『円安の中で構造改革を怠った。この構造改革を怠ったことが経済衰退の本質だ』

(4)高橋是清:戦前の大蔵大臣。積極財政によって経済を上向きにした、として有名。
『1993年、バブル崩壊直後の不況対策が、小出しの愚を犯した』『もし1993年4月から95年9月にいたる経済対策が一度に実施されていたら、総額48兆円。市場の度肝を抜き、経済は再び上昇軌道に乗ったことだろう』『「出るを制す」だけで財政の均衡を取り戻した例は、古今東西ほとんどない』。間もなく始まる国会で、消費税アップ問題を政府・与党・野党とも「国益」の観点から国民に分かるように熟議して公開してほしいと思う。

(5)『バブル崩壊後の1990年代、日本は失われた十年を経験した。しかしその後、小泉総理のリーダーシップによって、経済は明らかに再活性化の兆しを見せていた』『その流れを覆したのが、麻生内閣による2009年の「骨太の方針2009」だった』『骨太2009では骨太2006を放棄し、90年代の財政ばらまきと既得権益保護に再び舵を切った』『鳩山・菅内閣の政策は、マクロの枠組みで見る限り麻生内閣と極めて類似したものと言える』。小泉内閣は2001年4月から2006年9月までで、竹中さんは経済を担当する大臣でしたので、先述の野口さんの説に従えば、金融緩和と円安政策によって輸出を増加させる経済政策を取ったのは竹中さんということになる。野口さんは、この政策は持続可能なものでなく『日本の貿易黒字がアメリカに還流し、アメリカの住宅価格高騰やサブプライムローンの増加を招いた』と批判していますので評価が分かれています。