このシリーズの最初に書いたように、神と人間との古い契約の書が「旧約聖書」であり、新しい契約が「新約聖書」です。27の文書からなり、原本はすべてギリシャ語で書かれていますが、今日では世界各国の言語に翻訳されており、日本語訳では「新共同訳」が主流だと思います(今後ここでは、特に断りがない場合はすべて「新共同訳」によります)。ボリューム的には旧約聖書の約四分の一です。

時代としては、今から2000年程前の約100年間に書かれたと言われています。

「新約聖書」の構成としては、最初にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書(イエスの言行録)があり、次に初代の使徒たちの宣教活動が記されている「使徒言行録」、指導者たちによって書かれた宣教目的の「書簡」が続きます。そして、世の終わりを克明に描写した「ヨハネの黙示録」が最後に置かれています。

4つの福音書は、イエスが義と愛による神の支配を巧みなたとえ話を使って人々に語り、当時のユダヤ教がひた走りつつあった律法主義批判を強烈に行った様子を書いています。弟子たちは、その教えを記憶と想起によって伝道しました。その様子が書かれているのが「使徒言行録」「書簡」です。

新約聖書の場は、イエスの活動についてはパレステイナが中心で、弟子の時代になってその活動範囲がローマの支配する地中海に広がって行きます。

次回から各論に入って行きますが、ここではマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書でよく知られているイエスの言葉を紹介します。

マタイ16:24
Then Jesus said to his disciples(弟子たち), “If any of you want to come with me, you must forget yourself, carry your cross, and follow me.”(それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」)→著者注:「carry」は「・・・を運ぶ」の意ですから、必ずしも「背負って」ではありません。新共同訳は、多分、イエスが背負った十字架を意識したからではないかと思います。「自分の十字架を(手に)取って」位に訳せば理解しやすいと思います。

マルコ14:36
“Father,” he prayed(祈った), “my Father! All things are possible for you. Take this cup of suffering away from me. Yet not what I want, but what you want.” (「アッパ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」)→著者注:イエスがゲッセマネで祈ろうとしていたところ、ひどく恐れてもだえ始め、地面にひれ伏して、できることなら、この苦しみの時が自分から過ぎ去るようにと祈り、神に向かって言った言葉です。その直後ユダに裏切られ、逮捕されます。

ルカ 1:38
“I am the Lord’s servant,” said Mary; “may it happen to me as you have said.” And the angel left her. (マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」 そこで、天使は去って行った。→著者注:マリアがイエス懐胎の知らせを受けた場面です。

ヨハネ3:16
For God loved the world so much that he gave his only Son, so that everyone who believes in him may not die but have eternal life. (神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである)→著者注:日本のキリスト教信者の人気No.1の箇所。