「much as …」

前回は「as such」を取り上げました。今回は同じ「as」を使った我々日本人には難しい「成句」を取り上げます。

In short, much as I had been excited by the offers of friendship extended to me following the Mannering affair, I did, after that encounter at the Waldorf, remember again the example set by my parents, and I resolved not to allow frivolous preoccupations to deflect me.(Kazuo Ishiguro : When We Were Orphans
「resolve」は「・・・しようと決心する」。「frivolous」は「軽薄な」。「preoccupation」はここでは「先入観」。「deflect」は「・・・をそらす」。

ここでは「much as」は文の構成から考えて所謂「従属節」を導く接続詞の役割を果たしていることが分かります。「Mannering 事件の後で私に差しのべられた友情の申し出によって興奮していた」「私は、Waldorfでのあの出会いの後で、私の両親によって作られた先例を再び思い出した、そして軽薄な先入観が決して私の気をそらさせないようにと決心した」の2つの文をつなぐ言葉が「much as」です。

「much」には「接続詞」としての役割はありませんので基本的には「as」が「接続詞」の役割を果たしているハズです。「as」は「2つの並べられた物・事が等価の関係にあることを示す」(E-Gate)。等価の関係にあるので接続詞としては「・・・のとき(時)」「・・・なので(理由)」「・・・のように(様態)」「・・・であるが(逆接)」「・・・と同じ様に(比較)」「・・・するところでは(局面)」の日本語が対応します。

「Mannering 事件の後で私に差しのべられた友情の申し出によって興奮していた」と「私は、Waldorfでのあの出会いの後で、私の両親によって作られた先例を再び思い出した、そして軽薄な先入観が決して私の気をそらさせないようにと決心した」とを結び付ける一番しっくりくる「接続詞」は「・・・であるが(逆接)」でしょう。

この「・・・であるが(逆接)は Smart student as he was, even he couldn’t get into Harvard. の様に名詞・形容詞・副詞・動詞の原形の後で使われます(言語習慣です。それによって逆接の意であることが分かるのです)。「much as …」の「much」はこのルールを守るために使われていると考えると分かりやすいです。「much」はここでは「ほとんど、ほぼ、とてもよく(似ている)」の意の副詞です。即ち等価の関係を示す as を修飾して「ほとんど同じ」のイメージですが、「much as …」で使われるとある種の「倒置法」によって逆接の意味になっていると考えればスッキリします。「much as …」に「・・・だけれども」の日本語が対応するのはこのような背景があると頭の中を整理すると記憶に残ると思います。