日米地位協定の改定を主張する沖縄県の玉城デニー県政は、米軍が駐留する欧州各国で、米軍の地位協定や基地の管理権などを調査した報告書をまとめた。2017年からドイツ、イタリア、イギリス、ベルギーの4カ国を調査した。日本は米国と安全保障条約、地位協定を結んでいるが、4カ国は北大西洋条約機構(NATO)とNATO軍地位協定を締結。各国とも補足協定などで米軍に国内法を適用して活動をコントロールしており、米軍の運用に国内法が適用されない日本との差が明確になった。(沖縄タイムズ)

歴史を振り返る。
日本政府は、1945年(昭和20年)8月の原爆投下をうけ、8月10日に短波放送によりポツダム宣言の受諾を報知し、また8月14日には詔勅によりポツダム宣言を受諾した旨を連合国に通告した。翌8月15日正午、昭和天皇はラジオで終戦の詔書を日本国民に発表した(玉音放送)。この時著者は5歳であったが、祖母・両親ら家族全員がラジオの前に座って玉音放送を聞いたことを鮮明に覚えています。

1945年(昭和20年)9月2日に、日本政府代表は戦艦ミズーリの船上で、イギリス、アメリカ、オーストラリア、中華民国、ソ連ら連合国との間で降伏文書に正式に調印。日本の降伏により、日本は連合国軍最高司令官総司令部の占領下に入った。総司令官はアメリカ陸軍の元帥ダグラス・マッカーサーであった。

降伏文書の調印に先立ち、連合国軍は8月28日に日本本土(北海道・本州・四国・九州)に到着したアメリカ軍とイギリス連邦軍(イギリス軍・オーストラリア軍・ニュージーランド軍・イギリス領インド帝国軍)により日本への進駐を開始した。当時は「進駐軍」と呼ばれました。余り思い出したくない風景も随所で見かけました。

一方南西諸島(九州南端から台湾北東にかけて位置する島嶼群)および小笠原諸島は停戦時にすでにアメリカ軍の占領下ないし勢力下にあり、本土復帰まで被占領の歴史を歩みました。大陸や南方、北方の旧領土および占領地の日本軍はイギリス軍や中華民国軍、ソビエト連邦軍やフランス軍などそれぞれ現地の連合国軍に降伏し、領土および占領地の行政権は剥奪された(日本本土を除く)。占領軍は日本の外交権を停止し、日本人の海外渡航を制限し貿易、交通を管理した。漁業活動のための航海は、「マッカーサーライン」を暫定的に引き、講和後に廃止されるまで制限下に置かれた。

1951年(昭和26年)9月8日、日本政府は「サンフランシスコ講和条約」に調印。同条約は1952年(昭和27年)4月28日に発効し、日本は正式に国家としての全権を回復。外交文書で正式に戦争が終わった日は1945年(昭和20年)9月2日であるが、講和条約発効まで含めると1952年(昭和27年)4月28日が終戦の日である。

この様に1945年(昭和20年)8月28日から1952年(昭和27年)4月28日の6年8カ月の間日本は実質アメリカの占領下にあったのです。その間、戦争に負けた日本を安全保障面で強くしてはならないという米政府の意向の下(憲法9条がその象徴)、各種施策が行われました。そして日本政府は安全保障をアメリカに任せ、経済発展に邁進したのです。各種施策の1つに占領軍および日本政府の全ての宣伝機関が『御用』平和運動に駆り出されたことを挙げることができます。著者は学校で「憲法9条は世界に冠たるよいものだ」と繰り返し教えられた記憶があります。「憲法9条を守れ」はある時までアメリカの対日本の重要施策でもあったのです。

1960年に「安保条約」が改訂されました。旧安保条約には米国が日本を守ることは明記されていませんでした。同時に、米国は基地を日本に置く権利を持つとされ、また日本で内乱が起きたとき、日本政府の要請があれば介入ができるとされていました。新安保条約には米国が日本を守ることを明記させました。その意味で著者は岸元首相を評価していますが、その強権的国会運営で世間の評価は高くなかったようです。安保闘争の1つのスローガンが「岸を倒せ!」でした。

講和条約発効から67年。時代は変わり、アメリカが世界の警察官としての役割を放棄しています。特にトランプ大統領は「自分の国は自分で守れ。我々に頼むなら実費+αの金を出せ」と主張しています。一説によれば日本が核を持つのも賛成とか。技術的には日本は核を持つ決心をすれば数カ月で核保有国になれるというのが常識のようです。国会で憲法改正論議が始まると思いますが、日本の岐路になりますので「国を守る」ということについて我々1人1人が本当によく考えなくてはならない時です。