昔渡部昇一氏が「規範文法はイギリス人の英語に対するコンプレックスから生まれた。拠って立ったのが理性と慣用である」という趣旨のことを書いておられたことを覚えています。

初期近代英語期と言われる時代(1500年―1700年)はイギリス・ルネッサンス期と重なります。1588年にイングランドがスペインの無敵艦隊を破ったのを皮切りに、1607年にはイングランド人によるアメリカの植民地ジェイムスタウンが建設されました。この時期シェイクスピア(1564年−1616年)が現れエリザベス朝の文芸の絶頂期を体現しました。

このように国威が発揚されてくると自国語である英語を誇らしげに思うようになると同時に、歴史的には夫々勝手に使われてきた英語の「正しさ」みたいなものが意識され始めます。1066年のノルマン征服以降フランス語の影響を受けてフランス語からの借用語は大幅に増えましたが、彼らが文法的に意識したのは主としてラテン語でした。この時期の復興趣味に合わせて教養ある人たちを引きつけたのは、英語に比べて文法的に洗練されたラテン語の威信は高まっていたのです(ラテン語は既に完成された言語でした)。裏を返せば彼らには自国語に対する自信がなかったのです。これが、渡部昇一氏が言うところの「規範文法はイギリス人の英語に対するコンプレックスから生まれた」ということでしょう。

しかし、当時の英語は既に屈折が衰退し、ほとんど消滅していたのでラテン語の文法をそのまま真似する訳にはいきませんでした(ラテン語は屈折語)。ここから「英語の文法はどうあるべきか」の大論争が200年も続きました。英語の「あるべき姿」をめぐっての大論争です。

「あるべき姿」=「規範」の拠り所は何か?考え方は,大きく二つに分かれました。

一つが「理性」です。18世紀は秩序と規範を重んじる「理性の時代」でもあったことが背景にあります。例えば「between」の語源は「by two」だから「2つの間」にしか使えない、という主張です。また、二重否定によって否定を強調するのは「マイナスXマイナス=プラス」で論理的には肯定になるので駄目というものです。これには国王が,場合によっては英語もろくに話せない外国人だったこともあり、時の知識人の多くが社会の上流階級がしゃべる英語の「慣用」に頼ることはできないと判断せざるをえなかったという事情もあるようです。

一方で,それでも「慣用」を拠り所にした文法学者たちもいました。彼らはシェイクスピア等の大文豪の書いたものや社会の上流階級の人々が使う英語を参考とし、粘り強く著作によって世の人々にアピールを続け,18世紀後半は両陣営の出版合戦となりました。

その競争の中から生まれてきたのが,いわば「理性」と「慣用」の折衷案でした。そして現代の慣用文法の祖となったのがリンドリー・マレー(1745−1826)の文法書でした。出版は200版を重ねているそうです。皮肉にも彼は文法学者ではなく和解調停を得意とした法律家でした。イギリスでは1800年頃になってようやく現代英語の基礎となる文法が確立したのです。英文法に「例外」が多いのは、このように「理性」と「慣用」の妥協物だからです。

一方アメリカではノア・ウエブスターが「言語にせよ政府にせよ、自分たち独自のものが持てるという事はこの上なく名誉なことだ」という信念でアメリカ語の辞書編纂を続けました。これが下敷きになって語彙だけでなく、発音・文法でもイギリス英語から独立して独自の進化を遂げています。現在は国力の差もあってアメリカ英語がイギリス英語に逆に随所で影響を与えている面もあると言われています。