以下は11月9日の日経朝刊から抜粋。当時の文科省大臣と事務次官を著者が()内に追加しました。
『2020年度開始の大学入学共通テストでの活用見送りが決まった英語民間試験で、非公開で行われた文部科学省の有識者会議でも公平性確保などの課題が指摘されながら同省が活用方針を決めた過程が関係者の証言で明らかになってきた。政治主導で提唱された民間試験活用に文科官僚らはなぜ突き進んだのか。なお不透明な経緯の検証が求められている。
「全員がもろ手を挙げて賛成ではなかったが、最後は事務方に一任した。結論が『民間試験の活用』に変わった理由は自分にも分からない」。同省が設けた有識者会議「『大学入学希望者学力評価テスト(仮称)』検討・準備グループ」のメンバーの1人が明かす。
民間試験や共通テストを巡り、同省は複数の有識者会議を設けた。中でも経緯解明の鍵を握るとみられるのが2016年4月(下村大臣:土屋 定之事務次官。その年の6月から〜平成2017年1月が、あの前川喜平さん)に発足した同グループだ。
検討の土台としたのは別の有識者会議が直前にまとめ、「民間試験の知見の積極的な活用を検討する」とした最終報告。14年12月(下村大臣:山中 伸一事務次官)の中央教育審議会の答申と同様に、民間からノウハウの提供を受けて大学入試センターが「読む・聞く・書く・話す」の英語4技能を問う試験を開発することも視野に入っていたとされる。
共通テストの具体的な制度づくりを担う同グループの議論は途中まで非公開で進んだ。参加者によると、複数の委員から、民間試験を活用する上での課題として居住地域や家庭の経済状況によって受験機会に格差が出るといった懸念が出されていたという。
しかし文科省は16年8月(馳大臣だが8月に松野大臣に交代:前川事務次官)、「民間試験を積極的に活用する必要がある」とする同グループの検討状況を公表(著者注:ここで文科省の方針は正式に決定されたものと考えます)。17年7月には共通テストの実施方針として活用を正式決定した。
同省はこの間の経緯の詳細を明らかにしていないが、ある幹部は「民間試験の活用は政治主導の流れの中で進んだ。政治が決めたことをこなすのに精いっぱいになっていた」と打ち明ける。大学入試での民間試験の活用は13年、当時の下村博文文科相らが参加する政府の教育再生実行会議などの提言が起点になり、検討が進んだ。同省幹部は「きちんと実行できるのかという読みが甘いまま、政策の実現だけを優先して進めてしまった」と話す。
大学側の懸念などを受けて18年12月に設置した作業部会もほぼ非公開とし、高校などの慎重論を押し切って実施に突き進んだ。』

「民間試験の活用は政治主導の流れの中で進んだ。政治が決めたことをこなすのに精いっぱいになっていた」を「意訳」すると「文科省が何を抵抗しても官邸に押し切られた」だと思います(官邸に抵抗して更迭された「前川事件」を思い出して下さい)。「複数の委員から、民間試験を活用する上での課題として居住地域や家庭の経済状況によって受験機会に格差が出るといった懸念が出されていた(しかし、それは省みられることはなかった)」とは、「政治主導」で事が運んだということです。

「加計学園問題」と異なるのは、「加計学園問題」は「どの業者が儲かるか」で「加計学園ありき」ではなかったかの「手続き」問題であったのに対し(獣医学学部を目指す生徒は皆受益者)、今回は業者は皆儲かる構図だが、大学を目指す生徒間に不公平が生まれるのではないかという「教育の平等性」の問題だということです。

ここで本題の「身の丈」発言を振り返ってみます。

萩生田光一文部科学相が10月24日、テレビ番組で「(英語民間試験は)自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」というような発言をし、これが教育格差の容認ではないかと批判が集まり、謝罪、撤回に追い込まれました。英語民間試験については、住む地域や家庭の経済状況によって不公平が生じる懸念があるなど、かねてから制度の問題点は指摘されていましたが、この発言によりいっそう世間の注目を浴びることとなったという経緯があります。

著者は、この発言は萩生田光一文部科学相の「本音」だったと思います。さらに言えば、この表現は「咄嗟に」出てくるようなものではなく、日頃使っているか、或いは、このような文脈で使われる場面にいたことのある人の発言だと筆者は思います(例の小泉信次郎さんの「sexy」発言も、彼がアメリカ留学中に使っていたか、よく聞いていた言葉だと推察しています)。

上記の日経報道を前提にすると、長く官邸にいた萩生田さんのところに「民間試験活用」に関する報告は来ていたと容易に推察できます。そして、「今でも塾に通える子と通えない子がいる。それでも、不公平だという大きな声は聞こえてこない。これからの教育は何もかも平等を目指さなくても『自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえばよい』という論理で官邸が文部科学省のケツを叩いていたのだと、著者は下司の勘繰りをしています。