「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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2008年09月

あなたの髪は数えられている

私のブログ「宣教師達の同時通訳能力」の中で、娘の会の「エンカウンター」で英語の講演をしたことに触れた。その時の「題」は “Living Together With Different Religions and Cultures” であった。妻は結婚する前からカトリックの信者だったから(私はカトリック信者ではない)、我々夫婦はどのように折り合いをつけて今日まで生活をしてきているのか?その体験談を話して欲しいということだったのである。講演の準備の段階で、私自身の「宗教的なバックグラウンド」を整理してみた。西村家は代々「浄土真宗」なので、「ボーン・カトリック」に対比して言えば、私は「ボーン・ブデイスト」ということになる。家の中には「仏間」があったから、欧米流に言えば「プライベート・チャーチ」があったことになる。おばあちゃんは、毎朝、仏壇と神棚にお供えをしていたように記憶する。おばあちゃんの一番の記憶は「悪いことをしてはいかんよ。おてんとうさまは何でも見ているのよ」とよく言われたことである。中学・高校は「浄土宗」の学校へ行った。毎朝全校朝礼があり「明照殿」に向かって拝礼し、昼食の時は「本当に生きんがために、今この食を頂きます。与えられたる天地の恵みを感謝いたします」と食事訓を言った(欧米流で言えば、「お祈り」をしてから食事)。全校行事の時には、法然上人の「月影の至らぬ里はなけれども、眺むる人の心にぞ住む(澄む)」を歌った。講演の時、この「おてんとうさまは何でも見ているのよ」をどう表現するべきかを考えた末、文字通りの英訳をし、その意味は聖書の中の「あなたの髪は数えられている」と同じであると説明したが、出席者全員微笑んで頷いていた。

オー・ヘンリーの短編「賢者の贈りもの(The Gift of the Magi)」(Magi はイエスが誕生した時に贈り物を持って尋ねてきた「東方の三博士」のこと)の中でも “Be good to me, for it went for you. Maybe the hairs of my head were numbered,” とデラが自分の髪を切ってしまったことを夫に言い訳する場面があるが、下線部は聖書が下敷きになっているものと思う。聖書では「あなたの髪さえ(神によって)数えられている→神はあなたのことなら何でも知っている」の意味で使われているので、この文は「やさしくしてね、あなたの為にしたことだから。(髪を切ってしまったのも)おそらく神様のお考えよ」位の意味になるはずだ。

宣教師達の同時通訳能力

私たち夫婦の娘は、あるカトリックの共同体に属し、今東京で何人かの宣教師達と共同生活を送っている。スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、バスク語(スペインの北部、但し当然のことながらスペイン語も話す。バスク語はピレネー山脈を挟んでフランス側でも使われている)、朝鮮語、日本語がその宣教師達の母国語である。毎年1回スペインでこの共同体の「エンカウンター」が開催される。「エンカウンター」は通例「出会い」と訳されるが、辞書を引いてみると「encounter group への参加」という意味も出ている。encounter group とは Oxford によると “a group of people who meet to gain psychological benefit through close contact with one another” とあり、ジーニアス英和大辞典では「集団感受性訓練グループ」と訳している。我々の「エンカウンター」の根底には、このような意味も含まれているものと思うが、私たち夫婦にとっては「宣教師とその家族及び熱烈サポーターの会」である。今年(平成20年)も世界各地から約300人が8月2日から10日間集まった。毎日講義・ミサがあり(スペイン語)、各種ワークショップあり、遠足あり、夜は国別出し物ありの内容が詰まったものであった。参加者の母語がスペイン語、ポルトガル語、フランス語、フラマン語(ベルギーではフランス語とフラマン語の両方が「国語」であるが、ドイツ語も話されることは余り知られていない)、ドイツ語、イタリア語、ポーランド語、英語、朝鮮語、日本語と多岐に亘り、英語が共通語という訳には行かない。講義・ワークショップ・ミサでは宣教師達が手分けして同時通訳をしてくれた。私は、日本ではプロの同時通訳は通常15分で交代すると聞いていたので、彼女らが時には1時間以上交代なしで 10日間の間、毎日通訳してくれたのには驚き、また大変感謝もした。言語を異にする宣教師たちとの共同生活を通して訓練されている賜物なのであろう。私も頼まれて、あるワークショップで、英語でゆっくり話をした。スペイン語しか話せないと言っていた人たちの中にも、ゆっくり話せば英語を理解している人が居ることがその表情や笑いから読み取れた。この「英語をゆっくり話す」というのも大人数を相手にする場合のコツである。

英語ワンポイントレッスン(1)

既に著作の中で発表済みのものを一括掲載しました。

英語と日本語を1対1で対応させることの弊害
少し冷静に考えれば分かることであるが、英語と日本語は決して1対1で対応していない。それにも拘わらず、日本の学校での教育方法の結果、我々は無意識のうちに英語と日本語を1対1で対応させていることが多い。「yes」「no」の使い方も、その1例である。英語は、相手が、どんな質問をしてこようとも、その返事で使われる動詞が肯定で使われるなら「yes」、否定で使われるなら「no」で答える、表面的には「自己中心」の言語なのです。英語と日本語を1対1で対応させると「日本語に対応した単語が見つからない」「日本語に対応した表現方法を知らない」「発音が日本語風になる(従って、聞けない)」等の弊害があり、「しゃべる」「聞く」の最大の敵です。英語を身につけるための最大の秘訣は、英語と日本語を1対1で対応させないことである。

動名詞と不定詞
次の2つの文について、ニュアンスの違いを述べよ。
(1) He found parking difficult.
(2) He found it difficult to park.
この違いが、さっと感じられた方は相当英語に慣れているハズだ。(1) は、「彼は、日頃・常に駐車が難しいことを経験して知った」、(2) は、ある特定の機会について言っている感じがする。このように、動名詞は、名詞の1種なので、「ある概念を持つ(過去指向)」と覚えておくと役に立つ。一般的なことを言う場合には、どちらも区別なく使える。

日本人を惑わす ”Who”
我々日本人の多くが、”Who” で始まる疑問文を聞くと、瞬間的に「誰が」と「主語」を意識すると思う。ところが、アメリカ人の多くが日常会話では、前置詞の目的語である場合には、文頭に “Whom” ではなく、”Who” を持ってくる。例えば、Who did you buy this present for? (このプレゼント、誰に買ったの?)。 For whom did you buy this present? と、何故言ってくれないのかと怨みたくなってしま
う。人なら何でもWhoで済ませてしまうアメリカ流の合理主義の現れとみるか、いい加減と思うかは見解の別れるところである。最初にアメリカに住んだ頃は、私は勿論、”For whom ... “ でしゃべっていましたが、「最近のアメリカ人の言葉使いは乱れている。あなたの話し方を聞いていると気持ちがいい」という「褒め言葉」を頂いたことがあった。学生時代をアメリカで過ごした息子が、イギリスに行った時、恥ずかしくてアメリカ英語をしゃべれなかったという話もしてくれた。これも最近の「アメリカ憎し」の延長線上にあるのだろうか。

チョットあなたの英語力をテスト
次の空欄に1語を入れて文を完成しなさい。
Water ( ) horse.

正解:Water (the) horse. (馬に水をやりなさい)。文を構成するには、最低限主語と動詞が必要だが、命令文では You が省略されるので、water は(に水をやる)という動詞でしか使えない。( ) 内は a 又は the だが、a なら「どの馬でもよいから、そのうちの1頭」ということになるので、文脈からは the の方がよいと思う。
昔、私が勤めていた会社の新入社員研修で、息抜きに、この問題をやらせたところ、一番多かった回答はWater (loves) horse.(水は馬が大好きである?)だった。英語を1語1語日本語に置き直して、つなぎ合わせると、これでもよさそうに見えるが、無冠詞の horse では「馬」の意味にはならないことに注意。

名詞の形容詞的用法
例えば、「英語の辞書」は “an English dictionary”、仏語の辞書は “a French dictionary” のように固有名詞から出た形容詞が使える場合もあるが、「学校の図書館」と言おうとすると “schoolish” のような形容詞がないので “a school library” の様に、名詞に形容詞の働きをさせることになる。その他現在分詞、動名詞も形容詞として名詞を修飾することがある。例えば、”the rising sun”(朝日:現在分詞)、”a swimming pool”(プール:動名詞)、”a sleeping car”(寝台車:動名詞)、”a sleeping baby” (眠っている赤ちゃん:現在分詞)。動名詞が形容詞として使われる場合には「・・・のための」という意味になることに注意。
また、”a dark room” は dark が形容詞で dark room の両方に第一アクセントをつけて「暗い部屋」、”a darkroom” なら dark に第一アクセント、room が第二アクセントで「暗室」の意味になる。”a green house” “a greenhouse” も同じ使い方(「緑色の部屋」「温室」)。
因みに、「ホワイト・ハウス」は “the White House” の White に第一アクセント、House に第二アクセント。

He is taller than I (am) か、それともHe is taller than me か
口語では、どちらでも構わないと言われている。than は前者では接続詞、後者では前置詞。昔、私がニューヨークで下宿していた時、家に帰ってドアをノックすると、下宿のおばさんが「どなた?」と聞いてくるので、”It’s me.” と返事すると、いつも「Say, “It’s I.”」と直された。40年も前のことだが、懐かしい思い出だ。日本語の「ミー・ハー族」の語源もこれと思われる(何でも me/her 済ませてしまうという意味で)。

TOEIC頻出不可算名詞(数えられない名詞)
news / information / furniture / equipment / cash / work / homework / breakfast / lunch / dinner 等。但し、最後の3つは “a fast lunch”(手早くすませる昼食)のように、形容詞がつくと可算名詞扱いになる。これは、単に “lunch” だけなら「形」が浮かんで来ないのに対して、”fast lunch” になると「形」が浮かんでくるからだろう。逆に言えば、a /the をつければ、形のあるものとして認識されることになる。例えば a coffee = a cup of coffee。

商用文における advise
私が、念願かなって海外事業本部に転勤になって覚えた最初の「商業英語」が advise であった。企画課というところに配属され、Price List の担当になった。そして代理店に Price List の改訂を通知する時に覚えたのが “advise you of the following price change” という表現だった。決して「に忠告する」のではなく、「に連絡する(of … を)」という意味がしっかり頭に入ったことが思い出され、懐かしい言葉である。

予定(意図)を示す will と be going to
授業をしていて必ず出る質問の1つが「will と be going to の違いは何か」である。細部は文法書に譲るが、「be going to が、ごく近い未来か、かなり近い未来に使われるのに対して、will は遠い将来に使われる」というのが生徒の一般的な認識である。そうすると、生徒は何日位が目途になるかということが気にかかってくる。「英語では現在のことを言うには現在形、過去のことを言うには過去形、未来を言うには色々の言い方はあるものの、未来を示す助動詞 will を使う」のが原則。am/is/are going to … は、現在進行形だから。「今、to … のところに向かっている」が本来の意味であると思う。「今、to … のところに向かっている」なら、当然、話し手が前もって考えていた意図を示すことになる。それに対して will は、発話の時点で生じた意図を示す(I’ll have a steak. ステーキにして下さい)。もしその席に誰かが来て「何を食べるのですか?」と聞いたら、前もって考えていた意図を示すam/is/are going to … を使って “I’m going to have a steak.” となるでしょう。現在進行形も未来を表わすことがあるが、現在進行形は「・・・している」が本来の意味だから、未来を表わす副詞と共に使われた場合には、キッチリ予定が決まっている未来の感じが出る。このように動詞の時制概念から理解を進めた方が分かりやすいと思うが如何?

教えて下さい
「駅への道を教えて下さい」を英語で言おうとして、日本語を英語に直訳して “Teach me how to get to the station.” と言ってしまいそうだが、”teach” は「知識」とか「技能」を与えることを意味するので、この場合は、大袈裟すぎる。”Tell me how to get to the station.” が一番いいと思う。”Show me how to get to the station.” だと、「駅までの地図を描いてくれ」「駅まで連れっていってくれ」と取られるおそれがある。定番表現として、しっかり身につけよう。

英語の勉強について考える(1)

既に著作の中で発表したものを一括再掲載しました。

言語習得の出発点
私の子供たちが、初めてのアメリカで英語を身につけていった過程が、私の言語観の出発点であったが、最近は孫(2才弱)を観察することで、私の言語観も進化してきた。最初に身につけていく言葉は名詞である。例えば大人がリンゴを指差して「リンゴよ」と言うと、リンゴを指差して「リンゴ」と言う。次からは、リンゴ(及びリンゴの形をしたもの)を指差して「リンゴ」と言う。その内に、大人の会話の一部を真似するようになる。例えば「カアカ(お母さん)は、お出かけよ」というと、「カアカ、おでかけ」と真似する。直に、母親が自分を置いて、外に出かける場面では「カアカ、おでかけ」と言うようになる。私がリンゴを指差して ”apple” というと ”apple” と英語の音で繰り返してくる。次にリンゴを見つけたら「リンゴ、 apple」。先日孫を預かったが、戻ってきた息子が息子に “Are you happy?” と聞いたら、お母さんの膝に顔を埋めていた孫が息子の方を振り返って、教えたこともないのに “Yes” と返事した時には、全員本当に驚いた(勿論テレビを見ていて “Yes” という言葉は何回も聞いていたに違いないが)。言葉を使いこなす術は、人間が持って生まれた才能であると思わざるを得ない。

幼児の英語教育考
少子化に伴って、早くから子供に英語を習わさせる風潮が広がっているらしい。我が子をインターナショナル・スクールに通わせて、英語を身につけさせようとする方もあるようだ。英語の歌を歌ったり、英語のゲームをして遊ぶのは害はなかろうが、本当にどの程度の効果があるのかは、分からない。私が日米で子供を育ててみて、一番感じるのは「何語でもよいので、それで深く物事が考えられる言葉を、先ず、子供に身につけさせるのが大切だ」ということである。他人の教育に文句をつける気は一切ないが、日常の会話には不自由しなくても、その言語を使って物事が深く考えられない、中途半端な人間には育ってほしくない、というのが偽らざる気持である。

文型練習の大切さ
日本の社会人を20年教えてきて、全員が正しく反応した質問は “What is your name?” に対する ”My name is ……………” である。”Where were you born?” になると、”I born in ………..” という反応が相当出てくる。英語の文型の基本は「主語+述語(動詞)」である。この質問の主語は「you」で「述語(動詞)」は「were born」であるから「正解」は "I was born in ..."(born は bear - bore - born の過去分詞)。ほとんどの人が間違うのが ”What color is your shirt?” で、大抵は “The color of my shirt is white.” のように反応する。この質問の意味は「何色?あなたのシャツは?」であるから「私のシャツは・・・」と "My shirt is white." で答えるのが「正解」。”What do you do?”(お仕事は何ですか)に対しても “My job is …..” と反応する人が多く、例えば ”I teach English.” のように質問に忠実に反応する人は少ない。根本的な原因は、日本語で答えを考えてから、それを英語に訳しているからだと思われる。英語回路がある程度出来上るまでは、相手の使った「主語」と「動詞」を、そのまま使う練習が効果的だと思う。赤ちゃんは、これをやって言葉を習得していく。文型練習を繰り返すことにより「口グセ」になるまで、文型を使いこなそう。

近頃の若い子も捨てたものではない
先日三島市にある、あるロータリークラブ主催の「環境キャンペーン」で、講師として中学1年生全員に英語の話をした。日本の学校での学級崩壊の話を聞いていたので、200人以上も集まったら、どんなことになるか心配していたが、全くの杞憂に終わった。終始一生懸命に聞いてくれたし、発音の実技指導では、大人なら出来るようになるのに時間がかかる、英語の「音節」と「アクセント」が一発で出来たのには感動した。この若い子供たちの感性と、素直さに大いに期待したいものである。

英語入試問題雑感
入試問題で空欄に正しい前置詞を入れさせるものがある。これは、英語の問題としては余り感心出来ない。というのは、文脈の取り方によっては複数の正解があるからである。採点する方は多分「1つの正解」で一律に採点しているものと思われる。もしそうだとすると、受験者に求められているのは、先ず出題者と同じ文脈で捉える(想像する)技能であり、次に英語力そのものが問われるのである。例えば、”I work ( ) the School Library.” なら一目 “in” “at” “for” が正解。意味は順に「学校の図書館の中で働いている→職場が図書館の中にある」「学校の図書館で働いている」「学校の図書館のために働いている→雇用主が図書館」。少し無理をすれば、他の多くの前置詞でも意味は伝わる。例えば "on" なら「図書館の屋上で働いている」、"inside" なら「図書館の内側で働いている」。

トロイの遺跡を発見したシュリーマンの外国語習得法
ドイツ人の彼は、母語以外に英語、フランス語を始めとして10ヶ国語話せたそうだ。
『私はこのとき必要にせまられて、外国語習得法を1つみつけたが、この方法を用いると、どんな外国語でもひじょうにらくに覚えられる。この簡単な方法というのは、なによりもまずこうである。声をだして多読すること、短文を訳すこと、一日に1時間は勉強すること、興味あることについていつも作文を書くこと、その作文を先生の指導を受けて訂正し暗記すること、前の日に直されたものを覚えて、次の授業に暗唱すること。』(「古代への情熱」角川文庫)
シュリーマンは家庭教師をつけて、これを実践したようであるが、私には、その金銭的な余裕はないので、独習でスペイン語に挑戦しているが、1年後には、その成果を、このコラムで発表したいと思っている。

「あいまい」ということについて
「日本人はあいまい、アメリカ人は白黒をハッキリ言う」と随分割り切った言い方をする人がある。「日本人は・・・、アメリカ人は・・・」という言い方は随分大雑把過ぎると思うが、日本語という言葉の本質が「あいまいさ」を許容することが出来る構造を持っていることは確かである。理由の1つは、日本語では主語を言わなくても分かることがある(本当は、正しく理解したとの保証はないが、会話としてはスムースに行く)。一方、英語では必ず「主語+動詞」が1セットであり、動詞に対して責任を持つ主語が何かがハッキリしている。もう1つの理由は、日本語では「相手にこちらの意図を察してもらう」傾向があり、一方英語では、自分の意図を相手に、あくまでも納得してもらおうとする傾向があることが挙げられよう。人間誰しも白黒をハッキリさせたくないことはあろう。しかし、英語では、そのことを言葉でハッキリさせなければならない。「確信犯」でなくてはならないのだ。

日本人は音の不感症?
私が外国人について多少知っているとしたら、アメリカ人であるが、彼らが光に対して、日本人よりは弱く、サングラスをかけたり、部屋の明かりを相対的に暗くしていることは、よく知られていることである。一方、日本で英語のトレーニングをやっていると、隣の部屋の音がどうしても気になるし、隣の部屋の人は、こちらが複式呼吸の、よく通る音で練習するので、必ず「もっと静かにしてくれ」と言ってくる。日本語での隣の声を余り気にしないのは、大家族制度の時代からの名残で、生きていくための知恵が体にしみついているのであろうか?私は、日本語の音は、英語に比べて遥かに少なくて、音を区別するのに、多少の雑音は気にする必要がないことも影響しているのではないかと思っている。

チョット知ったかぶりが出来るいい話(1)

既に発表済みのものを一括再掲載しました。

evening は、何時から何時までか
afternoon は、正午(midday)から日没(sunset)迄をいい、evening は、日没から夜寝る(bed time)迄を意味する。従い、”evening” は日本語の「夕方」とは少し時間帯がずれている。夜は時間的には長いのに、普通は、どうして in the night と言わないで at night と表現するのだろうか?多分、夜には、人間は寝ていて活動をしていないので、物理的な時間は長くても、恰も1点の如く at night と認識されるからではないかと思う。現代社会では、人間の夜の活動も活発なので、”The telephone rang three times in the night.”(「夜3回電話が鳴った」)のように、時間の幅が意識されれば、in the morning / in the afternoon / in the evening と同じ in が使われる。「3時に」は “at three o’clock” で表わされるが、これは “at three of the clock”(「時計の3のところで」)の略。

エスキモーと雪に関わる表現
エスキモーの人々は雪を表現するのに何十もの言い方をすると何かの本で読んだ記憶がある。彼らの生活と直結した雪については、その位区別しないと生きていけないことが背景にあると思う。英語で仕事をしようとするなら、自分の仕事周りのことば(特に名詞)を英語で身につけることは、エスキモーの人々にとっての雪の表現と同じような関係にあると捉えたい。日本人は「お米」と「ご飯」は区別するが、英語では基本的には両方共 “rice”。スペインではカステラというものがないのでスペイン語では「スポンジケーキ」と表現すると聞いたことがある。

日英の住所表示
言葉は思考方法に影響を与え、逆に思考方法は言葉に影響を与えるので、何かにつけ日本と英語を母国語にする国を比較してみるのは、「英語習得」という面からも役に立つ。住所表示もその1つである。日本では例えば「〒123−4567 東京都 港区 赤坂 1−2−3」。英語表示では、「1-2-3 Akasaka, Minato-ku, Tokyo, Japan 123-4567」である。大きいところから順に絞り込んでいく日本方式と、個から始まって、小さいところから順に大きいところに展開していく英語方式の違いは面白い。

Good-bye について
Good-bye が、どうして「さよなら、ごきげんよう」の意味になるのだろうかと辞書を引いてみたところ、次のような説明があった。
語源:God be with ye!(神があなたといっしょにいますように)の縮約された形。
これで納得。英語では、神とか聖書が下敷きになっている表現が沢山あるということをよく聞いたり、読んだりするが、これもその1つ。他によく使われる表現では、誰かがクシャミをした時に言う “God bless you!”(「神のご加護を!」これは人前でクシャミをすることは無作法なので、その人がその無作法を詫びる前に、恥ずかしい思いをさせない為に助け船を出して、風邪を引かないようにとの言葉を言ってあげるのだと、何かの本で読んだことがある。言われた方は “Thank you.” で応える)がある。「花金」にあたる “T.G.I.F.”(Thank God It’s Friday) も使える表現。

「さよなら」は “goodby(e)” だけではない
午前中なら “Good morning!”、午後なら “Good afternoon!”、夕方なら “Good evening!”(但し、Good に第一アクセント)が使える(辞書にもちゃんと書いてある。辞書でこんな発見をするのも楽しい)。小説とか物語を読むとよく出てくる。

「ダイハード」
ブルース・ウイルス主演の映画で「ダイ ハード」というのがあった。原題は “Die Hard” だったと記憶するが、この意味は?ここでの “hard” は当然副詞として使われているが、「一生懸命死ぬ」「激しく死ぬ」「しっかりと死ぬ」のどれでもない。”hard” は「骨を折って、やっと」の意味で使われ「なかなか滅びない」の意味。die-hard と1語になると「がんこ者」。

Excuse me
辞書を引くと(1)中座したり、道を空けてもらう時などの儀礼的な言葉(2)小さな非礼をわびる言葉(主に米)(3)何と言われました(米。上昇調でいう)とある。(3)の意味で使う場面で、ぶっきらぼうに下降調で言うと「もう1回言ってみろ」で、喧嘩の口火になりかねない。我々は、頭の中にある絵(イメージ)を、音で相手に伝えているので、気持ちを音に込めることが大切。
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