「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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2010年01月

「昭和史(半藤一利)」(24)

なぜ海軍は三国同盟をイエスと言ったか(1)

またも近衛内閣

昭和十四年(1939)九月に第二次世界大戦がはじまり、英仏同盟軍にベルギーやオランダが追従して大連合となってドイツに宣戦布告しました。しかし、不思議なことに局地戦はあったものの大戦争はありませんでした。

国内では昭和十五年一月、阿部信行内閣が倒れ米内光政内閣が誕生。米内内閣は、ヨーロッパ戦争に不関与の方針をとりましたが、軍部にとっては邪魔な存在でした。その米内内閣も、畑俊六陸相が辞表を提出し、陸軍が代わりを出すことを拒否したため、辞職せざるをえなくなりました。そしてまた出てきたのが近衛文麿でした。7月22日近衛内閣誕生。

昭和十五年の国内の様子

その頃の国内の様子について触れてみると、三月、政府は映画会社やレコード会社に芸名が「ふまじめ」「不敬」「外国人とまちがえやすい」ものを改名するよう命令。国粋主義の徹底を図りました。

「敵性言葉」が禁止されました。プラットフォームは「乗車廊」、宣伝ビラは「伝単(中国語から)」、パーマは「電髪」に変えられました。「乗車廊」とか「電髪」とか旨い「訳」ですね。ストライクは「よし」、ボールは「だめ」でした。

落語協会も自粛して、「遊郭」「妾」「不義」「好色」ものは取りやめ。

「ぜいたくは敵だ」の立て看板。「生めよ、増やせよ」の推奨。十月三十一日には全国のダンスホールが完全閉鎖。

陸軍主導で戦時色がぐんぐん強まり、いよいよ軍国主義国家への様相を呈していきました。著者は、この紀元2600年(昭和十五年)、この世に生を受けました。

「バスに乗り遅れるな」の大合唱

5月1日、ナチス・ドイツは西部戦線に大攻撃を仕掛け、電撃作戦で英仏蘭の連合軍を打ち破りました。5月14日オランダ降伏、17日ベルギーの首都ブリュッセル陥落、フランスの最大の防御線マジノラインも突破、英仏連合軍をドーバー海峡まで追い詰めました。6月14日パリ無血占領、22日フランスは降伏調印。こうしてヨーロッパはドイツが席巻することとなりました。

フランス好きの永井荷風は「六月十九日。都下諸新聞の記事戦負の仏蘭西に同情するものなく、多くは嘲罵して憚るところなし。その文辞の野卑低劣読むに堪えず」と日記に書いています。マスコミも相当煽っていたことがうかがえます。

このように、連戦連勝のドイツにならって日本もアジア新秩序をつくるべきだ、今こそ「バスに乗り遅れるな」と日本中が浮かれる中で、上記の通り畑陸軍大臣が理由なく辞任し、陸軍が後任も出さない状況となり、米内内閣は倒されました。

平成22年大学入試センター試験問題 リスニング(6)

音声をお聞かせすることができませんので、流された音声のスクリプトと設問、そして受験時の対応の仕方について解説します。この対応の仕方はTOEICの時にも適用できます。

第4問
第4問Bは問23から問25までの3問です。これから流れる英語を聞き、それぞれの問いの答として最も適当なものを、四つの選択肢( 臭ぁ砲里Δ舛ら一つずつ選びなさい。
では、始めます。

Questions No. 23 to 25
Many of the world’s best-loved symphonies are known by popular nicknames given by the general public or music publishers rather than by their composers. A number of Haydn’s symphonies have nicknames such as the Surprise Symphony, the Military Symphony and the Clock Symphony. Another example of this type is the Farewell Symphony, in which the musicians leave the stage one by one as they finish playing. Eventually, the two violinists who are left put down their instruments and walk away from the stage. This ends the performance.

The story behind this piece is that the prince, for whom Haydn worked, had taken all of the musicians to his second palace in the countryside where he liked to go hunting. The musicians found the weather and working conditions at this palace to be very unpleasant. Moreover, they missed their families and the simple comforts of home. When the Farewell Symphony was first performed at the country palace, the prince understood the message of Haydn’s music at once. The next day he ordered that his entire household return to the city so they could be with their families in time for Christmas.

問23
Who is left on stage at the conclusion of the Farewell Symphony?
No one.
The composer.
Three violinists.
Two violinists.

解説:英語が聞こえてくる前に「問い」と(出来たら)「選択肢」を見ることです。問いと選択肢から「Farewell Symphony」「composer」「violinists」という単語が使われるだろうということが予想できます。これだけで、リスニングの精度が相当アップします。余程意地悪い出題者でない限り、選択肢に「violinists」が2回でてくるまたはい正解であると想像し、「Three」か「Two」に注意を払います。
正解:

問24
Why were the musicians unhappy at the country palace?
They did not enjoy hunting in the countryside.
They did not like playing symphonies.
They disliked playing in a large orchestra.
They found the working conditions uncomfortable.

解説:英語が聞こえてくる前に「問い」と(出来たら)「選択肢」を見ることです。問いから、ストーリが「音楽家たちは田舎の宮殿でハッピーでなかった」ということが分かります。
正解:

問25
What was the message in this symphony by Haydn?
Haydn was telling the prince to go hunting.
Some players wanted to leave the orchestras.
The musicians were eager to go to the country palace.
The orchestra members were homesick.

解説:英語が聞こえてくる前に「問い」と(出来たら)「選択肢」を見ることです。お抱えの音楽家が雇い主に命令することは考えられないので,禄外できます。オーケストラ・メンバーの「退職希望」「田舎の宮殿行き希望」「ホームシック」のどれかがテーマであると想像できます。「household」は「家中の者」の意。
正解:

以上で「平成22年大学入試センター試験問題 リスニング」の解説を終わりますが、「人間は自分が待ち構えていること(予想していること)以外は頭に残り難い」という宿命を持っていますので、「問い」「選択肢」が印刷してある試験では、「音」を聴く前に「問い」「選択肢」を見て、テープで流される英語の内容を事前に予想することが大切です。そのためには「速く読める」ことが必要です。速く読むためには、英文を日本語に訳さず、英語の順に絵に描くこと(イメージ化)の練習が必要である、ということを強調しておきたいと思います。

「昭和史(半藤一利)」(23)

第二次世界大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした(3)

スターリンの悪魔的決断

日本が外交的には三国同盟や天津事件でごたごたし、国民生活にも不自由な空気が漂ってきた頃、目をヨーロッパに向けると、1939年(昭和十三年)にはヒトラーはチェコスロバキアに強引に進攻していました。1939年9月ヒトラー(独)・ムッソリーニ(伊)・チェンバレン(英)・ダラデイエ(仏)の4首脳がミュンヘンで会談し、チェコスロバキアのズデーデン地方をドイツへ帰属することを決定しました。英仏両国の対ナチス宥和政策の頂点とされる出来事でした。

それに味をしめたヒトラーは「次はポーランドだ」と狙いをつけていました。非常な危険を感じ取っていたポーランドは、すでに英仏両国と同盟を結び、もし攻められることがあればドイツに宣戦布告をする約束を取り付けていました。ヒトラーはポーランドを得たければ、英仏との戦争を覚悟しなければなりません。そのとき、もしソ連が英仏につくようなことがあれば、東西両面で戦うことになりますので、出来ればソ連を自分の仲間に巻き込んでからポーランドに攻めかかり、英仏との戦争に備えたかったのです。それで盛んにスターリンに甘い誘いの手紙を送っていました。しかし、なかなか色よい返事は来ませんでした。

ところが、歴史家に言わせると、1939年8月19日午後3時15分ころ、歴史は動きました。スターリンが悪魔的決断をしたのです。21日午後6時にはヒトラーに手紙を書き、23日には「独ソ不可侵条約」(注)を結んだのです。
〈注〉独ソ不可侵条約
1939年8月23日締結。期限10年の不可侵条約。付属秘密協定書で東ヨーロッパにおける両国の勢力範囲を画定し、これに従って両国は同年9月ポーランドを分割した。1941年6月ドイツ軍のソ連侵入によって破棄。

それまで、対ソ連の有利な戦略を練るためにドイツとの軍事同盟を結ぶ、結ばないで盛んに議論している最中に、ヒトラーとスターリンが手を結んでしまったのです。世界の首脳が何を考え、どんなやりとりをしているかをしらないまま、一生懸命議論していたのです。アホな話です(ドイツの軍隊がポーランド国境に向かって終結している、という情報は新聞にも出ていたようですので、ポーランド進攻は予想できたハズです。その時、ソ連がどう出るかは当然予想しておくべきでしたでしょう)。

第二次世界大戦勃発

9月1日未明、ドイツ軍百五十万人が一斉に国境を越えてポーランドに侵入。第二次世界大戦がこの瞬間始まったのです。これにより、あらゆるものがぶっ飛んだ、と半藤は書いています。三国同盟も天津事件もふっ飛び、アメリカからの日米通商条約廃棄通告だけが残りました。

平成22年大学入試センター試験問題 リスニング(5)

音声をお聞かせすることができませんので、流された音声のスクリプトと設問、そして受験時の対応の仕方について解説します。この対応の仕方はTOEICの時にも適用できます。

第4問
第4問Aは問20から問22までの3問です。それぞれの問いについて英語を聞き、答として最も適当なものを、四つの選択肢( 臭ぁ砲里Δ舛ら一つずつ選びなさい。
では、始めます。

Question No. 20
Our airline welcomes children. More than 45,000 unaccompanied children fly with us each year. Whether it’s a short flight or a long journey, your child will enjoy a safe and comfortable trip. Here’s some important information. Children aged 5 and above may travel alone on flights. Children under 5 must be accompanied by someone aged 17 or older. When your child is traveling alone, please call our reservation desk. We will give you more details about services for your passengers.

問20
Which pair can travel by themselves?
A 2-year-old and a 15-year-old.
A 3-year-old and a 16-year-old.
A 4-year-old and a 12-year-old.
A 5-year-old and a 14-year-old.

解説:「by themselves」は「自分たちだけで」の意です。「Children aged 5 and above may travel alone on flights」が聞き取れれば正解です。聞き取れない場合でも,論簑个望探遒任ます(,OKなら△癸錬砲世ら)。「unaccompanied」は「連れのいない」の意。
正解:

Question No. 21
Tonight’s story on “Pets in the News” is about a cat that traveled halfway around the world with a shipment of cotton from Egypt. When the ship arrived in Seattle, a worker found a cat that had been trapped among the containers for nearly a month. The cat was taken to an animal shelter where her physical condition was checked. People were amazed the cat survived so long. Interestingly, the ship, which had previously had a rat problem, was now free of rats.

問21
How did the cat probably stay alive during the trip?
She ate some of the goods in the containers.
She caught and ate rats on the ship.
She slept in the shipment of cotton..
She was examined at an animal shelter.

解説:リスニング・テストで「ひっかけ」のために使われるテクニックの一つに、選択肢とナレーションとで同じ単語なり表現を使い、恰も正解のように思わせるものがあります。今回ではいそれに相当します。猫が長期間「生き延びる」には常識的には何か食べる必要がありますので正解は,△離魯此△隼廚辰謄董璽廚鯤垢とよいでしょう。
正解:

Question No. 22
As a professional photographer I would like to give you some suggestions for successful landscape photography. In winter, for example, when the days are short, you need to know where you’re going and what you want to photograph. You can get familiar with the area you’re planning to visit by reading guidebooks and studying maps. Then, you’ll know beforehand where the most attractive locations are, rather than leaving it to chance. At the location, it may be necessary to be in freezing conditions which might be dangerous.

問22
According to the photographer, which of the following is true?
Doing background research about the area is essential.
Freezing conditions should be avoided.
It is best to leave it to chance when taking pictures
It is important to stay on the main path.

解説:リスニング・テストで「ひっかけ」のために使われるテクニックの一つに、選択肢とナレーションとで同じ単語なり表現を使い、恰も正解のように思わせるものがあります。今回では↓がそれに相当します。逆に言えばテープと同じ表現のある選択肢は、ほとんどの場合に不正解です。「言い換え」を見つけたら、それが正解です。これはTOEIC対策でも同じです。
正解:

「昭和史(半藤一利)」(22)

第二次世界大戦の勃発があらゆる問題を吹き飛ばした(2)

強行となりはじめたアメリカ

まだノモンハン事件の起きていない四月九日、中国で「天津事件」(下記の注を参照)が、起こりました。

(注)もともと、天津の英租界は租界の特権を利用し、国民党、共産党、藍衣社などの抗日ゲリラ・テロリストの潜伏を黙認し、さらに租界内の銀行には国民党の多額の軍資金を蓄えさせるなど、日本の北支那方面軍や日本人居留民の強い反感を買っていました。

といった状況下の英租界内で親日華北政権の関税委員・程錫庚が抗日ゲリラに暗殺されます(1939年4月9日)。4人の犯人は英側に即逮捕されましたが、日本の身柄引渡し要求を英は拒否したため日本の対英感情はさらに悪化してしまいます。

その後、外交交渉が続けられたもののお互いの主張は平行線をたどるばかりでした。この状況に業を煮やした北支那方面軍参謀長山下奉文中将は独断で英租界に対し、6月7日までに容疑者を引き渡せ、との最後通牒を突きつけ、6月14日に英租界を封鎖するという強硬手段にでます。租界の周囲を電流を流した有刺鉄線で取り囲み、数箇所の検問所では日本兵が出入りする英国人を厳重に取り調べる徹底振りで、時には公衆の面前で全裸にして調べ上げることもあったようです。

これに慌てた英国側は、犯人引渡しの用意があると打診してきましたが、北支那方面軍はこれをはねつけます。
山下中将としては、これを機に英租界の体質改善をやってしまおうという腹積もりでした。
この北支那方面軍の高慢で理不尽な態度には英国側も面子にかけて激しく反駁します。さらに米国も日米通商航海条約の破棄をちらつかせ始めるなど、天津事件をめぐる外交交渉は暗礁に乗り上げてしまいます。

7月17日東京で天津事件に関する第一回日英会談が行われます。有田外相、クレーギー駐日英大使との会談は難航しましたが、最終的には、租界内の抗日共産分子の取り締まりを認めるなど英国側がかなり譲歩した形で決着します(7月22日)。参考文献:「ノモンハンの夏」半藤一利。以上ネット情報。

「イギリスが日本に降伏した」と浮かれていた7月27日、米国が日米通商航海条約(明治27年締結)の破棄を通告してきます。つまり、アメリカは日本に対してこれから敵対行為をとることを表明したわけです。実際の条約破棄はそれから半年後の昭和十五年一月なのですが、日本はイギリスに加えアメリカも相手にしなくてはならなくなったのです。日本にとって、これは「想定外」のことだったと思われますが、国際連盟脱退によって世界の情報が入らなくなっていたからでしょう。

昭和十三年末から十四年の出来事

昭和十三年十二月、ドイツの物理学者オットー・ハーン博士が実験によりウランによる核分裂に成功。後の原爆につながっていきました。

日本では「零戦(ゼロせん)」誕生。零戦は「零式艦上戦闘機」の通商で、太平洋戦争時、日本海軍の主力戦闘機でした。昭和十五年が紀元2600年にあたり、最後の「0」をとって、このように呼ばれました。16歳から19歳の青少年を満州に送り込む「満州開拓青少年義勇軍」計画発表(4月29日)。そして12月には「朝鮮戸籍令改正」を押し付け、朝鮮人に日本名に変えさせました(「創氏改名(そうしかいめい)」)。儒教を信じる朝鮮人にとって、祖先の名前を変えることは大変なことだったと考えます。皇民化政策の一環ですが、無茶なことをしたものです。戦後アメリカが日本人にも同じことをしていたら、私たちの名前は今頃「スミス」とか「ウイルソン」だったわけです。

このように昭和十四年から、日本全体がものすごい勢いで皇国的になって行った、と半藤は書いています。国民生活の上では、近衛首相が唱えた「国民精神総動員」がますます強化され、戦時体制が具体的になっていきました。「ネオンの全廃」「お中元、お歳暮などの贈答はぜいたくとして廃止」「男子の長髪禁止」「パーマネント禁止」等が行われました。
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