「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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2010年02月

英字新聞を「返り読みしないで」頭から読む(28)

Govt to urge total smoking ban in restaurants, hotels (8)[出展:The Daily Yomiuri: 2/19/2010]

“We’d hoped our efforts would spread throughout the nation. It’s great to hear that the national government decided to make the move,” said Yasuo Ide, an official of the prefectural government’s tobacco management office.

「We’d」は「We had」「We would」「We should」の短縮形です。ここでは、その後に「hoped」と過去分詞が来ていますので「We had hoped」の過去完了です。「過去完了」は過去のある時点で、その動作なり状態が終わっていたことを表します。ここでは「このような動きがとられることが分かった時までずーと望んでいた」というイメージです。

次の「would」と過去形になっているのは、「We had hoped」の過去完了に時制を合わせたからです。主動詞が現在形なら ”We hope (that) our efforts will spread throughout the nation.”となるでしょう。that-節が目的語として使われる場合にはthatは省略しても構いません。

「throughout」は「・・・の至るところに」の意の前置詞です。「我々の努力が広がるであろう」「国の至るところに」。

「It’s great to hear that …」の「It」は「to hear that …」を受ける所謂「仮主語」です。逐語訳は「国の政府がその動きをすることを決めたことを聞くのは素晴らしい」。

「decided to make the move」の「to make」は不定詞で「(これから make) することを決めた」のイメージになります。不定詞は「未来志向」の傾向があることは覚えておくとよいでしょう。

「official」は「職員」。「prefectural」は「県の」。「tobacco management office」は「たばこ対策室」の英訳。

頭から絵(イメージ)を描きながら、読んでみましょう
“We’d hoped our efforts would spread throughout the nation. It’s great to hear that the national government decided to make the move,” said Yasuo Ide, an official of the prefectural government’s tobacco management office.

「昭和史(半藤一利)」(52)

大日本帝国にもはや戦機がなくなって・・・・・・(7)

昭和19年7月7日、サイパン島が玉砕し、もはやこの戦争における日本の勝利はまったくないことが決定づけられました。18日に東条内閣は総辞職し、小磯国昭内閣が成立。

特別攻撃は海軍の総意?

「神風攻撃隊」という名前はよく耳にしたハズです。特攻隊は敷島・大和・朝日・山桜・菊水隊に分かれていました。大和心を詠じた本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」と、「七生報国(しちしょうほうこく)」で有名な楠正成の家紋「菊水(菊の花が流水の上に半ば浮かび出た形のもの)」から来ているのだそうです。

志願兵という形を採り、第1回はフィリピン・マバラカット飛行場から飛び立った関行男海軍大尉(当時24歳)以下全5名で、スルアン島海域で玉砕しました。昭和19年10月25日のことでした。28日、海軍は神風特別攻撃隊を大々的に「命令ではなく志願による」として公表しています。

この志願は現場で下から澎湃として起こってくる、止むにやまれぬ勢いから「特攻の父」と呼ばれる大西中将が断を下したのだといわれています。しかし、半藤によればどうも実態は最初から海軍中央の総意であったようです。半藤は、「まったく海軍リーダーたちの自信も責任もない」と憤っています。

昭和19年10月29日、朝日新聞は第1回神風特攻隊を《身をもつて神風となり、皇国悠久の大義に生きる神風特別攻撃隊五神鷲の壮挙は、戦局の帰趨岐れんとする決戦段階に慮して身を捨てて国を救はんとする皇軍の精神である……科学と物量とを唯一つの恃(たの)みとする敵に対して、科学を超越した必死必中のわが戦法はわが尊厳なる国体に出づる崇高たる戦ひの妙技であらう》と褒めたたえました。「科学を超越した戦法」とは著者には詭弁に響きますが。。。

昭和19年の終わり

昭和19年度の軍事費は、国家予算の85%を超えました。正に国をあげての戦争でした。東京の空にサイパン島から発進した爆撃機B29が始めて姿を見せたのが昭和19年11月1日。その1週間前にフィリッピンの東方海域で凄絶な史上最大の「レイテ沖海鮮」が行われました。連合艦隊はほぼ全滅しました。神風特別攻撃隊の体当たり攻撃も正式の作戦になりました。

半藤は、「その頃、日本はどこを向いても明るいところなど一点もなかったと言っていいと思います。物質的にも精神的にも荒廃し、日本中が休止状態になっていました。」と書いています。

「昭和史(半藤一利)」(51)

大日本帝国にもはや戦機がなくなって・・・・・・(6)

サイパン陥落、そして奪還は不可能

一方、南方の戦線では、マッカーサーが島々を「カエル跳び」して北上し、ニミッツ軍が太平洋を横から渡ってきて、共にフィリッピンを目指しました。フィリッピンの後に日本本土を攻撃する狙いです。昭和18年末から19年にかけてアメリカ軍の総攻撃が開始されました。

この太平洋を渡ってくる大機動部隊が昭和19年夏に襲い掛かったのがサイパン島でした。日本軍は、次はサイパン島に来るということは覚悟していて、マリアナ諸島を死守すべく、サイパン、テニアン、グアムの3つの大きな島に陸軍部隊が張りつき、難攻不落の防御態勢を敷きました。

難攻不落のハズでしたが、米軍は続々と上陸してきました。大砲の数が1桁違いました。こうしてサイパンを奪われた日本軍は、6月19日連合艦隊が総力を挙げて決戦にでましたが、結果は惨憺たる日本海軍の敗北でした。

天皇陛下は「なんとかサイパンを取り戻せないか」と二度も三度もご下問しましたが、奪還は完全に不可能との結論になりました。

特攻作戦の検討

天皇陛下はご不満で「元帥会議」を要求しましたが、結論は変わりませんでした。もはやだめだと結論が出たとき、伏見宮が「それならば、陸海軍とも何か特殊兵器を考え、これを用いて戦争をしなければならない」と言ったと言われます。これを受けて、陸海軍は「特攻作戦」を現実に計画しはじめたのです。神風特攻隊のルーツはこの日に遡るわけですね。

英字新聞を「返り読みしないで」頭から読む(27)

Govt to urge total smoking ban in restaurants, hotels А僚佚検The Daily Yomiuri: 2/19/2010]

The Kanagawa prefecture government, which in April will be the nation’s first local government to enforce an ordinance to ban smoking inside public spaces, welcomed the move.

「, which in April will be the nation’s first local government to enforce an ordinance to ban smoking inside public spaces,」のカンマからカンマまでは挿入句ですので、この文の本当の主語と述語は「The Kanagawa prefecture government welcomed the move.」です。意味は「(自治体としての)神奈川県はその動きを歓迎した」。

「, which in April will be the nation’s first local government to enforce an ordinance to ban smoking inside public spaces,」には「will be」という述語があり主語は「which」で関係代名詞です。その前にカンマがありますので「関係代名詞の連続用法」と学校で習いました。その直前の「The Kanagawa prefecture government」を指します。「、そしてその神奈川県は(国の最初の地方自治体になるでしょう)」というイメージになります。

「to enforce an ordinance」が次のイメージで「目を向けよ⇒enforce an ordinance」のイメージとなります。「enforce」は「を施行する」の意の動詞。「ordinance」は「法令、地方自治体の条例」の意。学校で教える文法に従えば「local government」を修飾する「不定詞の形容詞的用法」です。

次のイメージは「to ban smoking inside public spaces」で「ban」は「を禁止する」の意ですから「目を向けよ⇒公共の場所の内側で喫煙することを禁止する」となります。これも「不定詞の形容詞的用法」です。

頭から絵(イメージ)を描きながら、読んでみましょう。
The Kanagawa prefecture government, which in April will be the nation’s first local government to enforce an ordinance to ban smoking inside public spaces, welcomed the move.

「昭和史(半藤一利)」(50)

大日本帝国にもはや戦機がなくなって・・・・・・(5)

インパール作戦

インパールというのはビルマ(現在のミャンマー)の国境線の向こう、山を越えたところにあるインドの主要都市です。昭和18年末頃からこの作戦がたてられました。この作戦の裏には、実は不利になりつつある東条内閣への、国民の信頼回復という政治的意図が隠されていた、と半藤は書いています。結果的には、日本軍は完敗、徹底的に撃破され、雨季のどしゃぶりの中インパール街道を各部隊後退、また後退、それをイギリスとインドの連合軍が戦車で追撃するという哀れな失敗に終わり、多くの方が戦死しました。

インパール作戦を推進したのが、例の盧溝橋事件のコンビである牟田口中将と河辺大将でした。

以下は牟田口中将に関するネット情報(一部編集)。

牟田口中将は第15軍司令官に就任し、昭和19年(1944年)3月から開始されたインパール作戦では、ジャングルと2000m級の山岳が連なる地帯で補給を軽視した作戦を立案しました。当初、上部軍である南方軍司令官や自軍の参謀、隷下師団は補給が不可能という理由でほぼ全員が反対しました。しかし、牟田口は「イギリス軍は弱い、必ず退却する」と強硬に主張、やがて南方軍も大本営も作戦を承認することになりました。しかし、危惧通り作戦が頓挫した後も強行・継続し、反対する前線の師団長を途中で次々に更迭したのです。一介の中将に過ぎない牟田口が本来親補職(天皇より任免される職)である師団長を独断で更迭することは、前代未聞の事態でありました。ビルマ方面軍司令官河辺正三はこうした惨状を前に「こんなことで作戦がうまくいくのか?」と疑問を呈したといいますが、口を差し挟むことは行わなかったといわれています(河辺は盧溝橋事件の際も牟田口の上官でした。この時も両者は意見対立時にらみ合ったままで何も言わなかったと言われています)。またこのとき、戦況の悪化、補給の途絶にともなって第31師団長佐藤幸徳中将が命令を無視して無断撤退するという事件を引き起こしました。なお、補給については、牟田口は、牛に荷物を運ばせて食糧としても利用するという「ジンギスカン作戦」を実施させましたが、もともとビルマの牛は低湿地を好み、長時間の歩行にも慣れておらず、牛が食べる草の用意もおぼつかなかったため、牛はつぎつぎと放棄され、ジンギスカン作戦は失敗しました。

牟田口さんは非常に功名心の強い突撃形の軍人で、戦後イメージの悪い軍人のワーストワン候補と言われているようです。当時このような歌も流行りました。「牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二にメーマ(ビルマ語で女)、三に新聞ジャーナリスト」。
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