「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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2016年08月

冠詞ア・ラ・カルト(22)

身体の部位を表す場合の「the」

「彼女は彼のそでをつかまえた」という場合、英語では
“She caught his sleeve.”
“She caught him by the sleeve.”
の両方が可能だとされています。

は「his sleeve」が動詞の直接目的語になっており伝わる映像は極めてハッキリしています。「彼のそでを直接つかまえた」で話者の関心は「彼」ではなく「彼のそで」にあります。
は、「英語では伝えられる映像は前置詞の前で一旦完結する」という原則があります。「彼女は彼をつかまえた、誰でもわかるそのそでのあたりで」。「誰でもわかるそのそで」は文脈から「彼のそで」です。話者の主たる関心は「彼のそで」ではなく「彼」にあります。

しかし、両者は実際には普通区別なく使われているようです。前回ご紹介した「実例英文法」(AJトムソン/AVマーテイネット)のp11 に出て入る例を取り上げてみましょう。
She seized the child’s collar. (その子の襟をつかんだ)
She seized the child by the collar.

I patted his shoulder. (彼の肩を軽くたたいた)
I patted him on the shoulder.

The brick hit Jon’s face. (れんががジョンの顔に当たった)
The brick hit Jon in his face.

上記3つの例では、確かに両方が可能です。しかし、状況によっては使いわけをすべきです。

例えば、「Love Story」の中で、男が女に結婚の申し込みをする場面では「I looked her straight in the eye.」となっていました。しかし、「そのお医者さんは彼の口の中を覗き込んだ」という場合には「The doctor looked into his mouth.」が自然です。

冠詞ア・ラ・カルト(21)

句または節が付いて特定化された名詞の前の「the」

「the」は使う人が「自分が the を付ければ相手も自分の頭のなかにあるものと同じ人・物・場所等を特定出来ると思う」時に使われます。あくまで話者の主観が優先するものです。結果として相手が「?」となることはよくあります。

ですから英文法書に必ず書いてある「句または節が付いて」いても特定化できるかどうかは状況次第です。

「実例英文法」(AJトムソン/AVマーテイネット)のp7 に出て入る例を取り上げてみましょう。
the girl in blue (ブルーの服を着た女の子)
見える場所にブルーの服を着た女の子が1人しかいない場合はOKですが、制服がブルーの学校の生徒が何人もいるような場合は、指差して直接的に「特定」しないと使えません。
the man with the banner(旗を持った男の人)⇒これも,汎韻犬任后
the boy I met (私が会った男の子)
これは「私は何時、どこで1人の男の子に会った」というような情報を与えた上でないと通常は使えません。
the place where I met him(私が彼に会った場所)
これは「him」が相手に取っても既知情報ですから「彼と最初に知り合いになった場所」の文脈ならOK。何回も会っていて、偶々会った場所を指し示すのなら、それなりの文脈が必要です。

極端に言えば「文脈がthe が使えるかどうかの全てを決める」ということです。

冠詞ア・ラ・カルト(20)

小説の冒頭部分の「the」

次は有名な川端康成の「雪国」の冒頭部分です。英語訳は川端のノーベル賞の陰の主役であるサイデンステッカー氏。

『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。』
『The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. 』(1996年訳)
“The train came out of the long border tunnel − and there was the snow country. The night had turned white.” (1956年訳)

この部分は英語と日本語の違いについて解説するのによく例に引かれていますが(例えば「日本語には主語がない」等)、今回取り上げたいのは『The train came out of the long tunnel into the snow country.』の定冠詞です。
『The train came out of the long tunnel into the snow country.』をバカ正直に直訳すると「あなたも分かるハズのその汽車は、あなたも分かるハズのその長いトンネルから出てきて、あなたも分かるハズの雪国へと入って来た」となります。

いきなり「あなたも分かるハズの」と言われても「?」ですが、それが却って読者の興味を引きつける感じがします。「The train」は、次に出て来る「A girl who had been sitting on the other side of the car came over and opened the window in front of Shimamura.」まで読むと「主人公である島村の乗った汽車」を想像するのはそんなに難しくはないかも知れませんが、1996年訳では「the long tunnel」は、どのトンネルかは想像できないでしょう。その意味では1956年の訳の方が「border」という形容詞があるだけ読者にはイメージし易いですが、サイデンステッカー氏は文学作品としては1996年訳の方がよいと判断されたのでしょう。1956年の訳からは『国境の長いトンネルを抜けると、そこは雪国であった。』のような訳が当てはまります。次の「the snow country」は小説の題が「Snow Country」であることから「本小説の舞台である雪国」のイメージが湧くので1996年訳の「the long tunnel」でも「その雪国」と「他の地域を隔てているたった1つの長いトンネル」をイメージさせます。「the」の「特定する」イメージを使って読者に次への興味をかき立てる訳だと思います。

何れの訳でも『国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。』という日本語の「情緒的」な表現に比べて英語は「事実描写的」である感は否めません。著者の独断と偏見ですが、アメリカの小説で「情緒的」な感じを持たせるものは極めて少ないように感じます(「マジソン・カウンテイの橋」は情緒的だったような記憶があります。それが逆にヒットした理由かも知れません)。言語の差異としか言いようがありません。

冠詞ア・ラ・カルト(19)

定冠詞「the」は指示形容詞である「this」「that」に置き替えることが出来る場合があります。

例えば、友だちと2人で道を歩いていて前の方から背の高い女の子が歩いてきたら、普通はその女の子に分からないように指差して “Look at that tall girl.” (あの背の高い女の子を見てごらん)と言うかも知れませんが、向こうから歩いて来るのが1人のような場合なら、“Look at the tall girl.”でも十分に意が伝わると思います。上司に呼ばれて部屋に入って “Close the door, please.”と言われたら「その(that)ドア」を指差していると取るでしょう。

定冠詞「the」は英文法書には「その場の状況から見て特定のものを指す名詞の前に使われる」と書いてあります。
Ann is in the garden. (=the garden of this house)
Please pass the wine. (=the wine on the table)

同様に文脈さえ整えば「the car」は「our car(うちの車)」、「the newspaper」は「the
newspaper we read(うちで取っている新聞)」の意になります。

「at the moment」「for the moment」の「the」もこの使い方です。「その場の状況から
見て特定のものを指す瞬間」とは「この瞬間」の意になり、夫々「今のところ、丁度今、
目下」「さしあたり、当座は」の意です。この場合「the」は指示形容詞である「this」に
置き替えることが出来ます。

「of the/that kind」は「そのような」の意味の成句です。「something of the kind(まあそのようなもの・こと」

「the day」は通例「the day before yesterday(一昨日)」のように修飾語をつけて「特定」されますが、「その場の状況から見て特定のものを指す日=今日」の意味で使っている表現もあります。お店の入り口に “Closed for the day” のカードがぶら下がっていたら「今日は閉店しました」の意。 “He’s gone for the day.” なら「彼は今日は退社しました」。「the」を「this」に置き替え可能ですね。

冠詞ア・ラ・カルト(18)

the Japanese

名詞としての「Japanese」には「日本人」という意味と「日本語」という意味があります。

E-Gate という英和辞書の例文には次のようにあります。
The Japanese are said to be very industrious. (日本人はとても勤勉な国民だと言われている)
He speaks Japanese very well. (彼は日本語がとてもうまい)

勿論「Japanese people」も「日本人」という意味になります。

上記の「the Japanese」の「Japanese」は「複数」です。即ち「単複同形です」。「the + 複数形」は理屈の上で「特定の・・・の全部」の意味になります。従い「The Japanese are very industrious.」のような断定的な言い方は要注意です。「お前は日本人全部を知っているのか?」という反撃に会う可能性があります。同じ「日本人」でも「the Japanese」は「Japanese people」に比べて「日本民族」みたいな感じです。「the Japanese people」も文脈によっては「日本民族」の意になりますが、「日本人は皆」の意に取られる可能性もありますので避けた方が賢明でしょう。「-ese」「-ish」のついた国名を表す語はこの形が適用されます。

これを「アメリカ人」と「アメリカ英語」という関係で同じように使うと次のようになるでしょう。「American」の複数形は「Americans」です(「German」「Canadian」も同じ扱い)。
The Americans are said to be open and sociable. (アメリカ人はオープンで社交的であると言われている)
He speaks American(又はAmerican English) very well. (彼はアメリカ英語がとてもうまい)

何れにしても「the」は「特定」のイメージがつきまといますので、使える文脈かどうかということに注意を払う必要があります。
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