17世紀以降、イギリスの植民地政策の影響で、世界のさまざまな地域の言葉が英語に影響を与えた。一方、植民地化された地域の多くでは、英語がそこに住む人々の母語または第二言語となり今日の「世界語としての英語」への礎を築くことになる。

最初に、本国の「イギリス英語」を凌ぐようになった「アメリカ英語」を取り上げてみたいが、先ず歴史的な背景を見てみる。

北米大陸への入植

英国人が集団でアメリカにやってきたのは所謂「ピルグリムファーザース」が最初だと思っていたが実は違う。以下はネットで拾った情報を著者なりに編集したものである。

アメリカへの入植の試みは、やはり「金儲け(投資)」が目的で、英国人ウオルター・ローリーが最初だ。彼は1585年と1587年にノースカロライナ沖にあるロアノーク島への植民を試みた。

ローリーはアメリカ植民地を建設する計画を宣言し、イングランド国王エリザベス1世から土地を与えられた。彼はその土地を未婚の女王エリザベス一世にちなんで「バージニア(Virginia)」と命名した。”-ia” をつけると国名・地名を表す言葉となる(Albania, Columbia 等)。

だがロアノーク島に送り込まれた入植隊はその後行方不明となった。1602年行方不明となった植民者を求めて探検隊が派遣されたが、ただの1人も発見することはできなかった。ローリーの試みは失敗に終わったのである。本国イギリスでは、これによりしばらくは入植に投資するのに慎重になった。

1606年トマス・スミスを中心とするロンドン商人は北アメリカ大陸への植民を目指した。イングランド国王ジェームズ1世(エリザベス一世は 1603に没)は植民事業のための会社設立に勅許状を与え、スミスらは共同出資会社であるロンドン会社を設立した。間もなくロンドン会社はバージニア会社と名を改め、出資者を募った。そして同年12月、最初の植民者105人を北アメリカ大陸に送った。

渡航者104名(1名は死亡した)を乗せた3隻の船は、翌1607年バージニアのジェームズタウン島に到着した。植民者たちは入植に適した土地を求めてジェームズ川をさかのぼり、河口から約48キロメートルさかのぼった地点に上陸した。彼らはそこを入植地と定め、国王ジェームズ1世にちなんでジェームズタウンと命名した。ジェームズタウンは北アメリカ大陸におけるイギリスの最初の永続的植民地となった。

この場所はジェームズ川に突き出る半島となっており、先住民族の襲撃を防ぐには好都合な地形であった。しかしながらこの一帯は、潮水がせまる湿地であり、飲み水にも塩分が含まれ、またマラリアなどの疫病が発生しやすい地形であった。しかも入植者たちは、共同して生活の基盤を固める十分な用意もできていなかった。入植からわずか半年あまりで、入植者は飢えとマラリアで半分以下に減少した。

そのような混乱の中にあった入植者を救ったのは、ジョン・スミスであった。スミスは入植者に対して、全力で開拓にとりかかるよう説得を試み、入植地の実権を握った。スミスは先住民族と交渉して食料を取得した。また入植者には黄金をあさることをやめてトウモロコシなどの穀物を栽培させ、食料の確保に努めた。

これとは別に、信仰の自由を求めてピューリタンなどのキリスト教徒たちも北米に移住した。1620年には「ピルグリムファーザース」の一団がメイフラワー号に乗ってボストン南東のプリマス(Plymouth)に到着し、ニューイングランドに植民地を築いた。「ピルグリムファーザース」は本国の同じ名前の港を最後の寄港地にしたことから、アメリカでもその名前をつけたのである。

こうして18世紀前半には13の植民地ができ、本国からの独立の気運が次第に高まり、1776年に独立宣言。以降、国家としてだけでなく言語的にも本国からの自立が進んだものと考えられる。