「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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英語

東大が入試に民間機関の試験を採用せず(英語)

東大が「公平・公正」が保てないとして入試に民間機関の試験を採用しない方針を決めました。

著者の知っているのは「英検」と「TOEIC」「TOEFL」だけですが、入試が「公平・公正」を求めるものならば、東大の決定は「正しい」と思います。しかし、こんなことは英語を現場で教えている人には分かり切ったことです。

では文科省は何故入試に民間機関の試験を採用することを奨励しているのでしょうか。「聞く」「しゃべる」能力を判定しようとすれば、今のセンター試験より「英検」や「TOEIC」「TOEFL」の方が遥かに優れています。ですから1つの試験に絞り込むのなら、それはそれで意味のあることだと思いますが、1つに絞り込めなかった為に、こんなことになったのだと思います。

東大も民間機関の試験結果の提出は求めているようなので他校もこれに倣うと思います。結果「聞く」「しゃべる」に受験生の目が少しは向くことになり、民間機関の英語試験実施機関の営業支援にはなりそうです。

fair enough

「歴史をかえた誤訳」(鳥飼玖美子 新潮OH!文庫)の中で紹介された例。歴史をかえる程の話しではなくマスコミにも取り挙げられませんでした。

ヤイター通商代表が渡辺美智雄通産大臣と会談中に連発した “fair enough” が「たいへん、公平です」と通訳されたとのこと。

“fair”には「公平な」の意味の他、「論理にかなった」の意もあります。“fair enough”は一種の成句で「used to say that an idea or suggestion seems reasonable」の意で、鳥飼さんは『むしろあいづちの一種と考えた方がよい。日本語でいえば「そうですね」「ええ、わかります」「そりゃ、そうでしょう」といったニュアンスである』と書いています。

会談の中身は通商問題だったので「公平」という言葉が連想されたものだとは思いますが、ヤイター通商代表の仕草、声のトーン、文脈から、通訳された方は、少なくとも途中で、「おかしいな」と感じたハズです。私もアメリカに居た頃、よくこの台詞を言われ、今日まで本当の意味を確かめたことはありませんでしたが、何となく「納得」しているように感じて特に気にもしていませんでした。

「オレンジの猫」

今、鈴木孝夫著の「日本語と外国語」を読み返していますが、その中で、面白い「誤訳」が紹介されています。

アガサ・クリスティの『沢山の時計』(The Clocks)のなかの一節。

I looked up at the numbers I was passing. 24,23,22,21.Diana Lodge (presumably 20, with an orange cat on the gate post washing its face),19...
「家々の前を通り過ぎながら番号を二四、二三、二二、二一と順々に見上げて、二〇号とおぼしきダイアナ・ロッジ―その門柱の上ではオレンジ色の猫が顔を手で洗っていた―も過ぎて、一九と来ると・・・・・・」

日本人にとって「オレンジ色」とは「橙色」のことです。「橙色のネコ」なるものは想像がつきません。

しかし、実際には「an orange cat」とは「明るい茶色の猫」のこと。これは色の認識の違いであり、我々が「オレンジ色」にこだわっている限り思いつきもしない「文化の差」に根差すものと言えます。

現在の「ジーニアス英和大辞典」には「オレンジ色、赤茶色(「オレンジ色」よりも色の範囲が広くチョコレート色に近い色も含む)」とありますので、今翻訳されたら「誤訳」もなかったものと思います。

『歴史をかえた誤訳 (新潮文庫)/鳥飼 玖美子』にもこの問題は取り上げられていますので、有名な誤訳なのでしょう。

我々は「リンゴ=赤」と認識していますが「リンゴ=緑」と認識している国(の一部)もあります。「虹は6色」の国もあります。

「色」の問題の連想で『信号の「赤」「青」「黄色」の「青」も実際は「緑」』という話を思い出しました。これは、信号という場で「区別」がつけばいいわけで、厳密に色を定義しているわけではありません。その場合は「短い」言葉が選択される傾向があります。「みどり」vs.「あお」。

ago は「現在」を基準にして「今から・・・前に」か?

次はノーベル文学賞を受賞した Kazuo Ishiguro の作品の1つである When We Were Orphans の中に出てくる文です。

As it was, it was he who was led up to me – by Lady Adams, whom I had met several months ago during an investigation.

「ago」は普通の辞書・英文法書等には「今から・・・前に」と「現在」を基準にしか使えないと書いてあります。ここでの使い方は明らかにこれに反しています。

しかし CONCISE OXFORD DICTIONARY で「ago」を引くと「adv. earlier, before the present」と出ており「現在」を基準にしなければならないとは書いてありません(earlierの場合)。

そこで色々調べてみたところ「ジーニアス英和大辞典(電子辞書版)」に「過去完了には before が原則だが、文学作品などではしばしば登場人物ではなく作者自身の目から時間をとらえるので ago もごく普通:She was thinner than she had been three weeks ago. 彼女は3週間前よりもやつれていた。」と出ています。

著者は英語の「時制」に関する「規則」は「頭の中に見える絵(イメージ)」の方が優先すると思っていますので、この場面では作者=主人公はこの場面(大きな夕食会)の時点を視点にして物事を見ているので「ago」が使われていることに違和感は全くありません。

形は「一定」しているのに何故「不定詞」というのか

英語の「不定詞」が「to +動詞の原形(時としてtoがない場合もある)」であることは英語の勉強をした人は知っています。

このように「to +動詞の原形」と形は「一定」しているのに何故「不定詞」というのでしょうか?

「不定詞」は英語の「infinitive」を日本語に訳したものです。「infinitive」と言う言葉の初出は15世紀。ラテン語の「無限の、非限定的な」の意である「infinivus」が語源。

ここからは著者の想像ですが、ラテン語系の言語・ドイツ語等は普通の「主語+動詞」の場合、主語によって(英語で言えば、I, 単数のyou, he, she, it, we, 複数のyou, they等)動詞の形が変わります。即ち「主語」によって「定まった形」の動詞(定型動詞)を使わなければなりません。しかし「to +動詞の原形」の場合の「動詞の形」は常に「原形」であり、「主語」によって「定まった形」があるわけではない、即ち「非限定的な」という意味で「不定詞」という訳を与えたのだと思います。

このような動詞を「不定型動詞」と呼ぶならば「不定詞」「分詞(現在分詞、過去分詞)」「動名詞」は皆「不定型動詞」で、何らかの意味で「動詞」の性格を引きずっています。

英語では「be 動詞を除いて主語によって定まった形の動詞を使わなければならないのは所謂三人称単数だけだ」という指摘があると思いますが、古英語の時代(アングロサクソンが現在のイギリスに侵入した450年頃―1100年頃⇒1066年にノルマン人がイギリスに侵入)は動詞の語尾は今よりずーと豊かであったようです。それが中英語(1100年―1500年ころ)の時代に語尾がいまのように単純化していったようです。
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