「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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コラム

再考・英語教育

2020年度に始まる大学入学共通テストの目玉だった英語民間試験の活用が見送られた。今後、英語入試の再構築に向けた議論が始まる。グローバル化が進む中、日本の英語教育と入試はどうあるべきだろうか。入試改革の議論をリードした有識者や英語教育の専門家らに話を聞いた。

日経新聞11月28日朝刊の「複眼」の記事である。専門家4氏の意見をご紹介しつつ、著者なりのコメントをつけ加える。⇒以下は著者のコメント。

(1)「周回取り戻せ」(元武田薬品工業社長 長谷川閑史氏)
日本では人口減と高齢化が同時進行で進むなか、社会保障をはじめとする諸制度を維持するには1人当りの所得をあげるしかない。それには国内市場だけでは足りない。そこで急務なのが海外でビジネスができる人材の育成、国際共通語の英語が使えないと海外でビジネスができない。入社までに初歩のビジネス英語くらいはきちんとできてほしい。
だが、日本の英語教育は周回遅れだ。何周も遅れているのに、今回の民間英語検定試験の延期措置でさらに遅れたら極めて遺憾だ。

⇒今回の民間英語検定試験の延期措置が理由で日本の英語教育が更に遅れることはない。そもそも、大学入試問題に英語の「しゃべる」「書く」を必須とすれば高校の英語教育が変わるという発想は単純すぎる。何故なら英語で「しゃべる」「書く」ができるようになるには膨大な「訓練」が必要だからである。米国国務省の機関FSI(The Foreign Service Institute:外務職員局)の調査によれば、日本人が英語を習得するためには目安3000時間が必要とのこと。一般的な日本人の場合、中学高校等で1000時間程度は既に英語学習に触れているということで、ひらたく言うと大学生以降は残り2000時間の学習時間が必要でということになる。この数字は著者が30年以上日本の社会人に英語を訓練してきた経験からも妥当だと思う。ある通訳・翻訳者が「日本在住の平均的な社会人の片言英語レベル(TOEIC 500)から『ごく簡単なメールや仕事の会話なら英語でできるレベル(TOEIC 700)』に達するのに1000時間要する」とネット上に書いておられます。このような不都合な現実を直視するならば大学入試問題に英語の「しゃべる」「書く」を必須にした位では、氏が望まれている「入社までに初歩のビジネス英語くらいはきちんとできてほしい」という希望達成には何の役にもたたないことがお分かり頂けると思う。長谷川氏の希望をかなえるだけならば「大学卒業」の認定にあたり、それこそ「民間試験による英語到達度」を必須にすれば解決することだと思う。

(2)「4技能試験、センターで」(全国高等学校長協会会長 荻原 聡氏)
大学入学共通テストへの英語民間試験の導入は、大学入試を変えることで、高校の英語の授業を4技能(読む・聞く・書く・話す)を育てる内容に変えようとする狙いがあった。これは本来あるべき方法ではない。受験のためではなく、高校生が自分の興味や関心によって学ぶようにするのが目指すべき姿だ。
住む場所や家庭の経済状況で受験機会に不公平が生じないようにするためには本来、大学入試センターが年1回の共通テストで4技能を図るのが一番いい。

⇒全国の高等学校(含む私立)の代表者が反対していた大学入学共通テストへの英語民間試験の導入を文科省が何故強引に実施しようとしたのか極めて疑問であることを再確認した。「受験のためではなく、高校生が自分の興味や関心によって学ぶようにするのが目指すべき姿だ」という指摘は正しい。というのは、英語というのは「英語から遠ざかっていくにつれてレベルが急激に落ちる」から、入試をパスしただけでは意味を持たないのである。

(3)「自ら表現する力」伸ばせ(元中央教育審議会会長  安西祐一郎氏)
次の時代に向け、高校の英語教育を適応させることが重要だ。入試を変えずにそれができるなら結構だが、現実論として難しい。
国主導の改革である以上、国が責任をもって実施するのが当然だが、一方で国に経験がなくてできない部分があればどうしたらよいか。その議論は薄かった。

⇒そもそも〈民間資格・検定試験の活用〉という方針を文部科学省が打ち出したのは2014年12月、諮問機関である中央教育審議会(中教審)の答申だ。民主党政権時代からのベテラン委員で、答申当時の会長として議論を取りまとめたのが元慶應義塾大学塾長の安西祐一郎氏です。この方は今回の民間試験採用を裏で推進したベネッセとも関係があったと言われている方なので「言い訳」のように聞こえます。そうでなければ文科省に旨く「担がれた」ということでしょうか。「国に経験がなくてできない部分があればどうしたらよいか。その議論は薄かった。」では済まされない。経験がなければ、ある人の知恵を借りれば良いだけだ。国に経験がなかったから「民間に丸投げ」はないだろう。前にも書いたが教育の世界に「営利」を、結果であれ、座長として持ち込もうとした罪は重い。

(4)「高校では読解の重視を」(立教大学名誉教授 鳥飼 玖美子氏)
英語民間試験の活用見送りは遅きに失したが、立ち止まってよかった。
民間試験の利益代表ではない中立の専門家の間で、ゼロから話し合うべきだ。
現行の大学入試センター試験の英語は読む・聞くの2技能だが、書く・話すを含む4技能を間接的に測るのに相当な工夫がされており、完成度が高い。それをやめて民間試験に丸投げする理由は全く見えない。
そもそも「話す」は選抜試験に向かない。機器のトラブル防止や採点者の質の確保が難しい。
英語で意思をきちんと伝えられる日本人が育つのはよいことだが、今はそれを安易に考えすぎている。
日本は過去30年にわたり「話せる」を目指して英語教育改革をしてきたが、成果は出ていない。今回は何が問題かうぃお客観的に検証するよい機会だ。

⇒ここからも民間試験の利益代表者が議論を主導した姿が浮かぶ。英語の専門家なら(鳥飼氏はその第1人者)、彼女の意見に概ね賛成のハズだ。英語のセンター試験に関しては今後1年間検討が行われる予定になっているが、米国国務省の機関FSIの調査による「日本人が英語を習得するためには目安3000時間が必要」という現実を直視することから目をそらさないで欲しい。

親の教育熱 行き過ぎ注意

昨日の日経朝刊に表題の記事が社会面に載っていた。

ある日、苦手だった計算問題を解けた息子が「パパ、見て!」とうれしそうに答案を見せた。「それ以外は全然できてないじゃないか」。父親が一蹴すると、息子はそれ以降、学校や塾に通えなくなった。

親とか先生の何気ない一言が子供の行動に大きく影響した一例だと思う。

この記事を読んで、65年以上も前のことを思い出した。著者は、当時、名古屋市の外れに住んでいた。朝鮮戦争が1950年に勃発したので、その直後の頃のことだ。当時の日本は未だ人々の暮らしも豊かでなく、地域によっては公立中学校が荒れていた時代。親が近所の公立中学に通学するのを懸念して、私を私立中学の受験をさせようとしていた。そんな環境だったので、当時通っていた小学校は今風に言えば「偏差値の低い」学校だったと思う。当時は近くに「塾」なるものは存在しなかった。そこで親が、どこかの学校の先生のところに勉強に行かせる算段をしたのだろう。覚えているのは唯一つ。ある日、先生が「『沈む』の反対は何か?」と聞いてきたので『沈まない』と答えた。先生は笑った。それを機会に、著者は学校の勉強に関して家庭教師・塾の類には一切縁がなくなった。家庭教師・塾のお世話には一切ならなかったが東大に現役入学できた。

子供を育てて感じたことだが、親が子供の為に良かれと思ってしたことが、必ずしも子供はそう取らないことがあると痛感している。非常に難しいところではあるが、親は子供に「情報提供」はやっても、行動は子供に任せた方が旨く行く確率が高い様に思っている。

アッシジの聖フランシスコ

ローマ教皇フランシスコが離日しました。

フランシスコの名前は「アッシジの聖フランシスコ」に由来します(アッシジはイタリアにあります)。アッシジの聖フランシスコは「貧しい人々」を大切にした聖人です。ローマ教皇フランシスコも弱者には特別な眼差しを持っているように思われます。彼が教皇に就任した際、母国アルゼンチンからお祝いの一団がバチカンを訪れようとしましたが、フランシスコ教皇は「そんなお金があったら貧しい人々にあげて下さい」といって断ったとのこと。また、アルゼンチンで履いていた古いサンダルを新しいものに買い替えるのも拒否したという逸話も残っています。

今回の来日に併せて行われた歓迎会の席で安倍首相が「麻生副総理もクリスチャンで洗礼名は教皇と同じフランシスコです」と紹介し、会場からどよめきが起ったとのこと。ウイッキペデイアによれば、確かに麻生さんはクリスチャンですが、多分、生まれたばかりで親が洗礼を受けさせたもので、決して彼の主義・主張から、自分で選択して洗礼を受けたのではないと思います。政治家であることを割り引いてもアッシジの聖フランシスコの生き方の反対側にいる方のように思います。ネット上でも「汚水で洗礼を受けたのだろう」等のひどい書き込みが沢山あります。

余談になりますが、私が駐在していたアメリカのサンフランシスコは「Santo Francisco(聖フランシスコ)」に由来します。

教育を利用した営利活動

大学入学共通テストに導入される記述式問題を巡り、ベネッセコーポレーションが関連業務を受注している事実を示し、高校関係者向けに自社サービスを紹介する会合を開いていたことが分かった。2021年1月が本番の共通テストでは、ベネッセの関連会社「学力評価研究機構」が国語と数学の記述式問題の採点を担うことになっています。

言ってみれば、唯一記述式問題の採点基準を知る立場を利用して、自社の塾・セミナー・教材等の営業活動を有利に進めようとするもので、英語の共通テストに民間の検定試験を利用させる仕組み作りに背後で動いたと思われる動機と同一線上にあるものと推察します。即ち「教育」ではなく「教育を利用した営利」を目指しているものと考えられます。

大学入試の改革に向けた論議のスタートは6年前の政府の教育再生実行会議です。高校教育と大学教育をつなぐ入試改革のはずが、民間へ委託する共通テストへと変質してきました。大学入試改革も政府主導で成長戦略の一環として進められたとの見方は根強いものがあります。

果たして「教育」を「成長戦略(即ち民間の業者が儲かる仕組み)の一環」として捉えること自身が正しいのか、著者は疑問です。どうも安倍政権がやってきたことの負の部分が最近は目立ってきました。

「身の丈」発言についての下司の勘繰り

以下は11月9日の日経朝刊から抜粋。当時の文科省大臣と事務次官を著者が()内に追加しました。
『2020年度開始の大学入学共通テストでの活用見送りが決まった英語民間試験で、非公開で行われた文部科学省の有識者会議でも公平性確保などの課題が指摘されながら同省が活用方針を決めた過程が関係者の証言で明らかになってきた。政治主導で提唱された民間試験活用に文科官僚らはなぜ突き進んだのか。なお不透明な経緯の検証が求められている。
「全員がもろ手を挙げて賛成ではなかったが、最後は事務方に一任した。結論が『民間試験の活用』に変わった理由は自分にも分からない」。同省が設けた有識者会議「『大学入学希望者学力評価テスト(仮称)』検討・準備グループ」のメンバーの1人が明かす。
民間試験や共通テストを巡り、同省は複数の有識者会議を設けた。中でも経緯解明の鍵を握るとみられるのが2016年4月(下村大臣:土屋 定之事務次官。その年の6月から〜平成2017年1月が、あの前川喜平さん)に発足した同グループだ。
検討の土台としたのは別の有識者会議が直前にまとめ、「民間試験の知見の積極的な活用を検討する」とした最終報告。14年12月(下村大臣:山中 伸一事務次官)の中央教育審議会の答申と同様に、民間からノウハウの提供を受けて大学入試センターが「読む・聞く・書く・話す」の英語4技能を問う試験を開発することも視野に入っていたとされる。
共通テストの具体的な制度づくりを担う同グループの議論は途中まで非公開で進んだ。参加者によると、複数の委員から、民間試験を活用する上での課題として居住地域や家庭の経済状況によって受験機会に格差が出るといった懸念が出されていたという。
しかし文科省は16年8月(馳大臣だが8月に松野大臣に交代:前川事務次官)、「民間試験を積極的に活用する必要がある」とする同グループの検討状況を公表(著者注:ここで文科省の方針は正式に決定されたものと考えます)。17年7月には共通テストの実施方針として活用を正式決定した。
同省はこの間の経緯の詳細を明らかにしていないが、ある幹部は「民間試験の活用は政治主導の流れの中で進んだ。政治が決めたことをこなすのに精いっぱいになっていた」と打ち明ける。大学入試での民間試験の活用は13年、当時の下村博文文科相らが参加する政府の教育再生実行会議などの提言が起点になり、検討が進んだ。同省幹部は「きちんと実行できるのかという読みが甘いまま、政策の実現だけを優先して進めてしまった」と話す。
大学側の懸念などを受けて18年12月に設置した作業部会もほぼ非公開とし、高校などの慎重論を押し切って実施に突き進んだ。』

「民間試験の活用は政治主導の流れの中で進んだ。政治が決めたことをこなすのに精いっぱいになっていた」を「意訳」すると「文科省が何を抵抗しても官邸に押し切られた」だと思います(官邸に抵抗して更迭された「前川事件」を思い出して下さい)。「複数の委員から、民間試験を活用する上での課題として居住地域や家庭の経済状況によって受験機会に格差が出るといった懸念が出されていた(しかし、それは省みられることはなかった)」とは、「政治主導」で事が運んだということです。

「加計学園問題」と異なるのは、「加計学園問題」は「どの業者が儲かるか」で「加計学園ありき」ではなかったかの「手続き」問題であったのに対し(獣医学学部を目指す生徒は皆受益者)、今回は業者は皆儲かる構図だが、大学を目指す生徒間に不公平が生まれるのではないかという「教育の平等性」の問題だということです。

ここで本題の「身の丈」発言を振り返ってみます。

萩生田光一文部科学相が10月24日、テレビ番組で「(英語民間試験は)自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえば」というような発言をし、これが教育格差の容認ではないかと批判が集まり、謝罪、撤回に追い込まれました。英語民間試験については、住む地域や家庭の経済状況によって不公平が生じる懸念があるなど、かねてから制度の問題点は指摘されていましたが、この発言によりいっそう世間の注目を浴びることとなったという経緯があります。

著者は、この発言は萩生田光一文部科学相の「本音」だったと思います。さらに言えば、この表現は「咄嗟に」出てくるようなものではなく、日頃使っているか、或いは、このような文脈で使われる場面にいたことのある人の発言だと筆者は思います(例の小泉信次郎さんの「sexy」発言も、彼がアメリカ留学中に使っていたか、よく聞いていた言葉だと推察しています)。

上記の日経報道を前提にすると、長く官邸にいた萩生田さんのところに「民間試験活用」に関する報告は来ていたと容易に推察できます。そして、「今でも塾に通える子と通えない子がいる。それでも、不公平だという大きな声は聞こえてこない。これからの教育は何もかも平等を目指さなくても『自分の身の丈に合わせて頑張ってもらえばよい』という論理で官邸が文部科学省のケツを叩いていたのだと、著者は下司の勘繰りをしています。

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