「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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英文法

コンサルティング(consulting)

最近の文科省を巻き込んだ汚職事件に「コンサルティング会社」の役員が絡んでいるようです。

「consulting」は「consult」に「ing」がついたものです。

「consult」は「(人が)専門家・権威者に意見を求める、助言・情報を求める」が基本的な意味です。「コンサルティング会社」は「助言・情報を求める」人にそれを提供する会社です。会社ではなくて個人を指す場合は「コンサルタント」です。著者は「language consultant」を名乗っています。

医者も専門家の一種ですから「医者に意見を求める、助言・情報を求める」場合には「診察して貰う」意になります。「consult a doctor」で「医者に診てもらう」。

辞書とか本も専門家・権威者が執筆したものですので「consult」が使えます。「consult a dictionary」は「辞書で調べる、辞書を引く」の意。

専門家・権威者ではなく、対等の人・同僚に意見を求める、助言・情報を求める場合には日本語では「相談する、協議する、話し合う」の意になります。「consult with a friend about a matter of study」は「勉強のことで友人に相談する」。

似たような語で「consul」がありますが、こちらは「領事」の意。「領事館」は「consular office」。

「日本人」「アメリカ人」

Google 翻訳で「日本人」「アメリカ人」を翻訳させたら、夫々「Japanese」「American」と出てきます。「日本人たち」「アメリカ人たち」は「Japanese people」「Americans」。

これは「Japanese」「Chinese」「Vietnamese」「Portuguese」のように「-ese」で終わる国民名は「単複同形」であることと関係していると思います。これは単に発音上からくるものであって民族性とは関係ありません。

国民全体を言う場合には「the Japanese (people)」「the Americans」と「the」をつけます(「the + 複数形」は「全部」を意味します)。

上記に関連して、ネット検索をしていたら『「日本人」は集団名詞だから、通常「Japanese−日本人」の前に「the」が付いています。一方、日本語が言語だから、通常「Japanese―日本語」の前に「the」が付いていません。基本的にはネイティブは定冠詞でこの2つの言葉の意味を区別します。』という記述がありました。著者もアメリカに住んでいた時に「the Japanese」という表現はよく耳にしましたが、いつも「十把一絡げ」にされるのは迷惑だと思っていました。これは彼らが目にした「日本人」は、誰もが眼鏡をかけカメラをぶら下げている印象(即ち、違いがない)を持っていたことが背景にあるように思います。正直と言えば正直ですが。。。。。。。

また、「He is a Japanese.」(彼は日本人です)は文法的には正しいですが、「a」は「形がある」イメージを持っていますので「物」的扱いになり、失礼な印象を持つ人もあるでしょう。「He is Japanese.」の方をお勧めします。余談ですが、スペイン人にスペイン語で「彼は日本人です」を何と言うかを尋ねてみましたが「He is Japanese.」的な言い方をするとのこと。

形容詞は固有名詞を修飾できるか

次の文に誤りがあれば訂正せよ。

Yesterday, by the time young Jenifer returned from her shopping trip with Miss Givens, the light in my study was already murky.

これは「ひっかけ」問題です。「that beautiful Mt. Fuji」のように「限定詞+形容詞+固有名詞」の形は目にした方はあると思いますが「young Jenifer」のような形は珍しいのではないかと思います。

「young Jenifer」⇒Jeniferは固有名詞だから形容詞で修飾できないのではないかと思われる方もおられると思いますが、「限定」用法の形容詞は固有名詞を修飾できません(「年下の方のJenifer」という意味で「young Jenifer」と言うことはできません)が、「Jenifer is young」という意味での使い方(叙述用法)では形容詞も固有名詞を修飾することができます。

上記の英文は Kazuo Ishiguroの When We Were Orphans からの引用です。

英文法の重要性

「本物の英語力」(講談社現代新書)の中で鳥飼玖美子氏は「文法というルールを勉強しておかないと、コミュニケーションという試合には出られません」と書いておられます。

著者は真面目に受験勉強しました。英語に関して言えば、当時「山崎貞(ヤマテイ)の『新自習英文典』と『英文解釈研究』を夫々三度読めばどこの大学もOK」と言われていました。前者が所謂「英文法」の本です。

28歳の時にアメリカに勉強に行きました。最初は「聞く」のは全く歯が立ちませんでしたが、こちらの言いたいことは何とか伝わっていたと思います。ある時昼食に招かれて、あるお宅にお邪魔した時、他にも何人かお客さまがいましたが、「あなたの英語は気持ちがいい」と言われました。意味がよく分からなかったので、どういうことか尋ねたところ「文法に忠実に話しているから」という返事でした。

2度目のアメリカはサンフランシスコでしたが、最初の6カ月位はコミュニケーションという視点からは誰もあまり変わりがないが、それを過ぎると日本でよく勉強出来た人とそうでない人では伸びが全然違うことを実感しました。

3度目のアメリカ滞在は南部のテネシー州チャタヌーガ市に工場建設の先遣隊として最初1人で乗り込みました。しばらくは秘書と2人だけで活動しましたが、手紙については全て添削してもらいました。その都度「あなたの英語はパーフェクトに分かる。しかし、私達の英語と異なるところがあるので、そこを直しました」と言われました。今から考えると真面目に受験勉強した英文法の知識をベースに書いていたのだと思います。帰国する時に、添削してくれた手紙を持って帰りたいと言いましたが「これは私の記念だから挙げられない」と言われました。今でもメールのやり取りをしていますが、先日「句読点を含め完璧!」と言われ嬉しかったです。

鳥飼玖美子氏は上記の本の中で英文法の中で特に大切なこととして「文の構造と5文型」を挙げておられます。また「英文法は異文化理解」とも述べられています。そこで「5文型」を例に、著者なりの「異文化理解」をしてみたいと思います。

「5文型」とは、ご存知の方が多いと思いますが、次の5つです。
(1) S(主語)+V(動詞)
(2) S(主語)+V(動詞)+C(補語)
(3) S(主語)+V(動詞)+O(目的語)
(4) S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+O(目的語)
(5) S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+C(補語)

このたった5つの文型で全ての英文をカバーできると学校では習いました。「補語」とは分かり易く言えば「イコールでつなげられるもの」です。

上記の5文型を一目見て「全ての英文には主語と動詞があり、主語が最初に来て次に動詞が来る」ことが分かります。「S(主語)+V(動詞)+O(目的語)」の例として「I like apples.」があります。これに対応する日本語は「私は、リンゴが、好きです」「私は、好きです、リンゴが」「リンゴが、私は、好きです」「リンゴが、好きです、私は」「好きです、私は、リンゴが」「好きです、リンゴが、私は」の6通りあります。何故でしょう?そうです、日本語には名詞に「は」「が」「を」「に」等の助詞をくっつけることによりその名詞の役割を決めることができるからです。英語にはこの「助詞」というものがないので、「語順」にその役割を与えていることが分かります。これが分かるだけで英語は随分と身近になります。異文化理解が進むということです。

「語順」が日本語の助詞の代わりをしていることは分かったとして、何故「主語」⇒「動詞」の順なのでしょうか。これは「言語習慣」としか言えないと思いますが、著者は「英語という言語は頭の中に浮かんできた絵(イメージ)をそのまま言葉にして行く傾向がある」と思っています。頭の中に浮かんできた絵(イメージ)をよく見ると一番目立つものがあります。それが主語です。その主語をよく見ていると、その主語の状態なり動作が見えます。それが動詞です。このような「言語文化」を持ったのが英語だとすると、この異文化と上手に付き合うには先ず「頭の中の絵(イメージ)をよくみること」が大切だと分かります。「I see.」が「なるほど、わかりました」、「Let me see.」が「ええと、そうですね」の意味になることも、この「異文化」を理解しておれば納得がいきます。「I see.」は「私は頭の中の絵(イメージ)が見えている」、「Let me see.」は「私は頭の中の絵(イメージ)が見えていないのでよく見させてよ」ということです。

最後に「5文型」について1つだけ指摘しておきたいと思います。

「S(主語)+V(動詞)+O(目的語)+C(補語)」の文型は「O(目的語)=C(補語)」の関係にあります。即ちここでの「V」は他動詞で、「C」は「目的語の補語」です。だとすれば理屈の上では「S(主語)+V(動詞)」文型(動詞は自動詞)にも「主語の補語」があってもいいハズです。ありました。「He came home all wet.」は「He = all wet」の関係にあります。意味は「彼は(自分が)ずぶ濡れで家に帰ってきた」です。最近は「5文型では全ての文をカバーできない」というのが通説になって来ているようですが、著者は折角「5文型」を習ったのだから、それで押し通してこの「例外」だけを付け加えておけば学術論争は別にして実際には問題ないと考えています。


英文法補足(26)―文否定と語句否定

日本の英文法書では必ず取り上げられている項目です。「文否定」は文の述語動詞を否定することによって文の内容全体を否定し、「語句否定」は文中の語句を否定すると説明されます。

例えば次のように説明されています。
Many of them did not pass the test.(彼らの多くが合格しなかった)
Not many of them passed the test. (合格した人は多くはなかった)

著者は「文否定」という言葉が生徒の理解を却って妨げていると思います。「not」はその前の言葉を修飾することはなく次の語句を修飾します。前者では「pass the test」を修飾するので「彼らの多くがテストに合格しなかった」、後者では「Not many of them」が主語で「not」は「many of them」を修飾。「彼らの多くでない者たちがテストに合格した」のイメージですから「Not many=Few」ですから「Few of them passed the test.」と同じになるという説明だけで十分ではないでしょうか。

I did not marry her because I loved her.は2つの意味に取れるということでよく紹介されている文です。即ち「not」が「marry her」を修飾しているのか、それとも「marry her because I loved her」を修飾しているかという解釈問題です。こんなややこしい文は明らかな文脈があって誤解を与えない場合を除いて書いたり、言ったりしてはいけないということです。前者なら「I did not marry her. Because I loved her.」または「I did not marry her, because I loved her.」或いは「Because I loved her, I did not marry her.」のようにすれば誤解はありません。また「愛していたがゆえに結婚したわけではない」という文そのものも分かりずらいです。「I did not marry her only because I loved her.(愛していたという理由だけで結婚したわけではない)」なら分かりますが。
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