「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

Thank You for Visiting Me! 「英語赤ひげ先生」による「知っている英語」を「使える英語」にするための「理論」と「教材」を一挙に無料公開しています。

オバマ演説

オバマ議会演説と日米首脳会談についての雑感

オバマ議会演説をNHKの副音声(英語のみ)で聞いた。日本の首相の施政演説を聞くのと大分違うと感じた。
オバマ大統領の演説は、歴代の大統領と同じで、実際は原稿を読んでいるという話を聞いたことがあるが、全くその感じがしなかった。日本の首相の施政演説は原稿の丸読みが見え見え。
これと裏腹で、オバマ大統領は自分の言葉で語っていた。日本の首相の施政演説は首相の言葉で語っている感じがしない。よそ事に聞こえる。
オバマ大統領はテレビを見ている国民を意識した語り口。日本の首相の施政演説はこの目線がない。だから聞いていて面白くない。昔、細川首相のときは国民に期待を持たせる演説であったがこれは例外。
オバマ大統領の演説は国民の情感に訴えていたが、「why - because」の論理が全くしっかりしていた。英語では論理なくしては情感に訴えることも出来ないのであろう。日本の首相の施政演説は、この点論理があいまいと言わざるを得ない。話しの旨かった小泉さんは「ワンフレーズ」で専ら情感に訴えてリーダーシップを発揮した。
出席者は、自分の意に反するオバマ大統領の発言には冷たい顔はしていたが、日本のように品のない声でやじる声は聞こえなかった。賛成のときはスタンデイングオベーション。

日米首脳会談の最初の場面も放映されたが、オバマ大統領は「首相(the Prime Minister)を招待した」という言い方はしたが「麻生首相を招待した」とは言っていなかったので、麻生さんの名前を忘れたのかなと気になっていたが、今朝の日経では「日本の首相をホワイトハウスに招待したのであって、麻生氏個人を招待したのではない」という米政府高官の発言を紹介していた。オバマ大統領は外交当局の振り付けを言葉の上で忠実に守ったわけだ。

再びオバマ演説について

演説の最初のほうで、
“Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some but also …” (「経済はひどく脆弱になった。それは一部の人々の強欲と無責任の代償でもあるが・・・」)というくだりがある。

これを聞いて(見て)、大抵の人々は今回の金融危機の直接の引き金を引いたと云われる、ウォール街の金融機関の人々を思い描いたに違いない。今日の日経の夕刊にも、オバマ大統領は、金融機関経営者が高額の賞与を受け取っているとの報道に触れ「無責任の極みで恥ずべきことだ」と批判した旨の記事が出ていた。

この “greed” という言葉は “greedy”(「食い意地のはった、欲深い」の意)という形容詞から作られた名詞である。

前にも書いたが、オバマ演説は「聖書」の言い回しを下敷きにしていると思われるので、著者は “greedy” という言葉が、聖書の色々のところで使われているハズだと思い、探してみた。

早速、「テモテへの手紙」(パウロという人が書いたもの)の中で、”Church helpers must also have a good character; they must not drink too much wine or be greedy for money;”(「同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず」新共同訳)という箇所を見つけた。

今日の夕刊では、前記に引き続き、オバマ大統領は「破綻寸前で納税者に助けを求めたウォール街の住人は、多少なりとも節度や規律、責任感を示す必要がある」と述べたらしい。発言の政治的な意図は置くとして、その言い回しは、やはり「聖書」を下敷きにしているように思われる。

普通に生活している民には、当たり前の感覚だと思うが、地位を手に入れてしまうと、人間は “greedy” になってしまうのであろうか。昨日の国会中継では「品位」を問題にした質問もあった。そんなリーダー達の姿をテレビで見せつけられる、普通に生活している民はやりきれない。

翻って、資本主義社会の下では、「お金」はもともと “greedy” だ。だからこそ、このような「100年に一度」の危機の中にあっても、企業経営者は株主への利益配分にやっきになっている。資本主義の宿命である。これを推し進めたのが所謂「構造改革」だと考えれば、分かり易い。聖書の教えのように「人間が品位を持って対処する」か、あるいは「何らかの規制をするか」しなければ、今回のようなことは必然的に起こることであると思う。日本は、ある時までは官僚・政治家の中の所謂エリートが「品位を持って対処」し、日本を導いてきたと著者は思っている。しかし、最近は、大勢は変わってしまったように見える。

オバマ演説は、次のように続く。
“our collective failure to make hard choices and prepare the nation for a new age”(「同時に、難しい選択をせず、国家を新しい時代に準備してこなかった集団的な失敗でもある」)。

オバマ米大統領就任演説

新聞各紙が一斉にオバマ米大統領就任演説について、英文・日本文で全文を掲載したが、再び、独断と偏見による薀蓄を少々。

"I stand here today humbled by the task before us"(英文)
「我々が直面する任務を謙虚に受け止め、ここに立っている」(「日経」の日本語訳)
「私たちの前にある職務に謙虚な心を持ち、ここに立っている」(「朝日」の日本語訳)

“humble” は形容詞では「(地位、身分などが)低い、卑しい」「(物事が)粗末な」「(人の態度が)謙そんな」、動詞では「を卑しめる、を謙虚にさせる」の意味を持つ言葉。

“task” は「義務としての不愉快または困難な仕事」の意味を持つ言葉。

従って、逐語訳をすると「私は今日ここに立っています、謙虚にさせられて、我々の前の困難な仕事によって」となります。

ここからが薀蓄です。
何故「我々の前の困難な仕事によって」「(自分が)謙虚にさせられる」のでしょうか。英語では職業のことをcalling といいますが、これは「神の思し召しで職業が決められた」 ことに由来する言葉です。職業は人間の意思で選ぶのではなく、「神」が選ぶのです。従ってオバマ氏にとって米大統領職は神によって与えられた仕事ということになります。

また、聖書では「謙虚になる」ことを教えています。私たちは ”humble” であることを求められているのです。このような精神的な風土があって、スピーチライターは “humbled by” という言葉を選んだものと推察されます。聖書には「幸いなるかな、貧しき人々、その人 たちの心は humble である」という箇所もあります。聖書の教えでは心がhumble であることは「卑しい→悪」ではなく「謙そんな→善」なのです。

イエスの誕生が予告される場面で、マリアが天使に言った言葉は、
“I am the Lord’s servant,” said Mary; “may it happen to me as you have said.”
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(新共同訳)

オバマ演説のこのフレーズの後に出て来る ”grateful” はラテン語 grate(感謝の祈り)に語源を持つ「に感謝する」という意の形容詞。

これらの言葉は全て、希望を持って、神の思し召しで決められたことを喜んで受け入れ、感謝し、それが実現するように神に祈るという背景(精神的な風土)があってスピーチライターが選んだのだと思います。それ故に人々の心を打ったのだと思います。

オバマ新大統領就任演説

久し振りに「人の心」を打つ政治家の言葉を聞いた。
何故人の心を打つのだろうかと演説の草稿要旨(日本語)を読み返してみた。著者が感じたのは、この演説が「神の教え(聖書の教え)」に沿ったものであるということだ。

神は「希望、一致、慈悲」を私たちに与えた(聖書の教え)。

オバマ演説で、これが直接的に窺えるところを拾ってみた。

「今日この日、我々は恐れより希望を、争いや仲たがいより結束を選んだ結果、こうして集まった」
「すべての人が完全な幸福を追求するチャンスを持ち、平等であるという神の約束を確認するときが来た」
「堤防が崩れた時に困っている人を受け入れる優しさ、友人が職を失うくらいなら自分の労働時間を短縮する無私の人、煙に満ちた階段を駆け上がる消防士の勇気。これらが我々の運命を決める」(→「神が我々にしてくれることを、我々も他人にする」ということ)。
「求められているのは新しい責任の時代だ。米国民の一人ひとりが個人、国家、世界に対して義務を負うという意識だ。いやいや請け負う義務ではなく、喜んでつかむ義務だ」(→「いつも喜んでいなさい」)。
「地平線に視線を定め、神の慈悲を身に浴びて。。。」(→「神はいつもあなたに慈悲を与え続けて呉れている」)。

余談だが、ミッシェル夫人は黄色のワンピースとコート姿だったそうだ。「黄色」は「希望」と「再生」を象徴する色(スペイン・イタリアでは「緑」が希望を表わす色だそうだ)。オバマ氏は「希望」を語り、夫人は「希望」を身にまとっていたことになる。「希望」は英語で ”hope”。スペイン語では「エスペランサ」。

テレビに映し出された、演説を聞いている、ある黒人男性の本当にうれしそうな顔が印象的だった。今日は我々夫婦の結婚記念日。とてもよいプレゼントを頂いた。

オバマ氏は又「我々が今日問うているのは、我々の政府が大きすぎるか、また小さすぎるといったことではない。家族が収入にありつけ、家族を養うことに寄与しているかなどといったことであり、政府が機能しているかどうかということなのだ。答えがイエスなら、我々は前進していく。ノーなら計画を中止する」とも言っている。神は「我々一人ひとりが幸せになる」ことを約束された。我々日本人一人ひとりも、誰かが「してくれる」のを待つだけではなく、「希望、一致、慈悲」を心に持って、(自分だけではなく)お互いが幸せになれるように毎日行動しよう。政府の力も大きいので、この面で大いに機能することを期待したい。

後記(1月22日)
このスピーチの原稿を書いたのは27才の"The College of Holy Cross"(「聖なる十字架の大学」)出身者だそうだ。名前からして「神学校」だと思われる。それなら納得!

“I love you both, more than you imagine.”

アメリカ初の黒人大統領が誕生することとなった。シカゴにおけるオバマ氏の「勝利演説」に酔った人も多いことだろう。政治的なことを置いておけば、著者の印象に残ったのは、家族への感謝を述べる際に2人のお嬢さんに向かって云った “I love you both, more than you imagine.” である。日本語で言えば「2人共愛しているよ、お前達が思っている以上に」ということになろう。

日本語にも「親の心子知らず」という言葉があるように、親の子を愛する気持ちが子供に、そのままは伝わらないことが多い。最近は「心の風邪」を引いてしまう若者も多いと聞く。専門家によると、その際「親との何らかの心の葛藤」が根っこにあることが多いらしい。人間は「周りの人間、取分け親に、心から愛されることを渇望している」ことを心に留めたい。

ほとんどの親が自分達の子供を愛していると思いたいが、問題は「その愛が子供に伝わっているか」である。日本人は何も問題がないときには、子供に対して「愛しているよ、お前が思っている以上に」とは中々口に出すことは少ないと思うが、是非口に出すことが大切だと感じた次第。オバマ氏のお嬢さん達は死ぬまで、父親が今日数万人の前で言ったこの言葉を覚えていることだろう。

imagine は image / imagination から類推できるように「想像する、心に描く」意の動詞。ビートルズの「イマジン」は余りにも有名。
記事検索
livedoor プロフィール
Categories
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ