「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

Thank You for Visiting Me! 「英語赤ひげ先生」による「知っている英語」を「使える英語」にするための「理論」と「教材」を一挙に無料公開しています。

英語の歩み

現代の英語

これまで、十数回にわたって、ゲルマンの小民族によってブリテン島で話されていた英語が、その語1500年の歳月をかけて、どのように歩んで来たかを見てきたが、このシリーズは今回が最終である。

1900年以降の英語に影響を与えた背景は、
科学技術の進歩(含む核兵器)が著しいこと
2つの世界大戦を経験したこと
若者文化
差別用語の撤廃
性のオープン化
インターネットの普及
環境への関心の高まり
等が挙げられよう。

新しく作られた言葉は余りにも多いので、上記夫々の項目毎に例を挙げるにとどめる。

20世紀の最初の30年間は、自動車、航空機、ラジオ、テレビ、映画に関する新語が多い。世界で最初の実用的な自動車を設計・製作したのはドイツの技術者であるカール・ベンツ(1886年)。アメリカのヘンリー・フォードがガソリン自動車を発明したのは1896年。今日「自動車」を表す英語は “car” “automobile” “auto” であるが、“car” は既に14世紀からある言葉で当初は「二輪の荷馬車」を意味した。「電車」「ゴンドラ」等にも使える。“automobile” “auto” は勿論19世紀末に出来た言葉である。「auto(自ら)mobile(動く)」から作られた。フロントガラスを意味する “windshield” は20世紀に入っての言葉(「風の盾」のイメージから)。

アメリカのライト兄弟が世界最初の動力飛行をおこなったのは1903年。”airplane” は「air+plane」 で「空を水平に飛ぶ板」の意。

ラジオ(radio)は、初出は1910年。”radiotelegraphy”(無線電信)の短縮語。

テレビ(television)は、初出は1907年。「tele(遠い)vision(像を見ること)」。

cinema(映画)の初出は20世紀に入ってから。既にあったフランス語の短縮語。なお、日本語の「キネマ」は同じ意味であるが “kinematograph”(活動写真)から。

1910 / 1940年代には戦争用語が顕著(genocide=初出は1944年 「集団殺戮」等)。

1920年代には “boogie-woogie(ブギウギ)” “teenage” などの若者文化を示す言葉が現れ、50年代には “rock and roll” “hippie” などの言葉が流行った。

女性について既婚・未婚の区別をしない “Ms”。「スチュワーデス」は「フライト・アテンダント」。”chairman” は “chairperson” に。「マンホール(manhole)」の代わりに “personhole” を使うことも辞書には載っているが、ここまでくると馬鹿馬鹿しい。身体が不自由な人を表現するのにも、配慮が行われることが多い。”cripple” は「はう」を意味する creep と同系語なので避けた方がいい(the handicapped 等を使う)。これはアメリカで実際にあった話であるが、知人がthe handicapped のための駐車場に誤って駐車してしまい、警官にとがめられたので “I’m language-handicapped.” と言ったら、笑って許してくれたそうだ。

”sexy” のようなそれまでタブー化されたような語も現れた。

インターネットの普及は目覚しいものがある。Eメールでは省略語や感情語(所謂絵文字)が頻繁に使われる。省略語の一部を紹介する。ある高校の教科書から抜粋。

ASAP: as soon as possible(出きるだけ早く)
BCNU: Be seeing you.(それでは、また)
F2F: face to face(面と向かって)
FYI: for your information(ご参考までに)
IDK: I don’t know.(わかりません)
PLS: please(お願いします)
KIT: Keep in touch.(またお便りください)
TTYL: Talk to you later.(また連絡します)

“global warming”(地球温暖化)等。

世界各地の英語

英語は大英帝国の植民地政策により世界各地に広がり、そこで発展を遂げた。

カナダ
カナダを最初に植民地化したのは、イギリスではなくフランスであった。東海岸にあるニューファンドランド島の沖合は大漁場があり、漁師たちは早くからやってきていたが、本格的に植民地化が始まったのは1605年である(徳川幕府は1603年)。1608年にはケベックを植民地とした。ご存知のように、ケベックの人々はいまだにフランス語をしゃべり、彼らの話す英語はフランス語訛りがある。しかし、1760年代にはイギリスに追い払われた。

カナダ人の英語は、著者の経験では、アメリカ英語と変わらない。しかし、電車の中でしゃべっているのを聴くと、カナダ人かアメリカ人かは大抵想像がつく。「やかましい」のはアメリカ人。”eh “([ei] と発音し、「・・・ね」の意味で発話の最後に現れる)を連発していればカナダ人。

オーストラリア・ニュージーランド
オーストラリア・ニュージーランドを植民地化したのはジェームス・クック(通称キャプテン・クック)である(1768年以降)。

オーストラリア英語に関して巷間知られているのは “today” が “to die” と発音され、”paper” を「パイパー」と発音することである。著者の感じではイギリス英語に近く、[ei] を強く発音しない癖に慣れれば、アメリカの南部英語よりは、遥かに分かり易い。ニュージーランド英語は余り接した経験がない。少ない経験の範囲では相当分かり難いが、個人差だったのかも知れない。

新TOEICでは「米国・英国・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド」の発音で発話されているが(旧TOEICでは米国発音のみ)、皆「綺麗な」英語で、受験者の負荷が格段に増したという印象は著者にはない(米国・カナダと英国・オーストラリア・ニュージーランドの2区分くらい)。

南ア
イギリスのアフリカへの進出は、南アフリカのケープタウンのオランダの植民地を英国が植民地化したのが最初。南アの英語も、著者は接した経験は少ないが、一緒に英語を教えていた先生の英語は非常に分かり易かった。余談になるが、言語的には半分日本人、半分アメリカ人の著者の息子がロンドンに行ったとき、恥ずかしくて「アメリカ英語」がしゃべれなかった、と言っていたのを思い出す。その意味は「イギリス人の方がコミュニションという視点からみると、アメリカ人より遥かに分かり易い英語をしゃべる」ということである。植民地支配が生んだ副産物なのであろう。現在でも英語外国人のための英語教材はイギリスの外貨獲得のための「産業」である。

インド
アジアの英語の中で一番歴史が古いのがインド。1600年東インド会社の設立。1877年英国女王がインド皇帝を兼ねる英領インド帝国が成立。第二次世界大戦後にインドは独立したが、英語は現在でも補助公用語として用いられている。

彼らのしゃべる英語は日本人には聞きづらいが、書く英語は「古臭い・馬鹿丁寧な」匂いはするものの上手である。近年 IT 関連でインドが発展しているが、多くの人が、英語が使えるのと大いに影響しているものと思われる。

ピジン・イングリシュ「ピジン」は「business(ビジネス)」の中国訛りであるという説がある。植民地などで先住民との交易に使われた英語と現地語の混成語のことをいう。これが母体となって、現在「トクピシン(ピジンをトークする意)」に発展し、パプア・ニューギニアを中心に百万人程度が使っているらしい。文法が単純化し、語彙が限定される傾向にあるという。

アメリカの英語

英和辞典を引くと、通例、発音・単語の綴りと意味・文法に関するアメリカ英語とイギリス英語との対比が出てくる。この違いは、本質的にはそんなに大きなものではなく、コミュニケーションを妨げるほど大きなものではないと著者は考えている。

但し、「発音」に関しては、地域・人により、辞書の発音記号で表示されているものと実際では大きなへだたりがあると感じることが多い。イギリス英語でもロンドンのあるイングランドでの発音とウエールズ、スコットランドでの発音の間に違いがあるように(著者が昔アメリカ南部にいた頃、スコットランドからのお客様の通訳をやらされて相当苦労した経験があります)、アメリカでも東部、中部(「標準」とされている)、西部、南部での発音は相当差がある(特に南部英語は所謂「ズーズー弁」的で日本人にとっては非常に分かり難い)。これは日本でも同じである。

黒人のしゃべる英語も「標準英語」とは異なる(彼らの母語が閉鎖的な社会環境の中で英語に大いに影響を与えたものと考えられる)。また、アメリカにはスペイン語を母語とする人々も沢山住んでいる。日本では未だ「Spanish-English」のような言葉は聞かないが、きっと特有な「英語」も使っているはずだ。昔、著者と一緒に仕事をした方の中に、スペイン語を母語とする方がいらしたが、”come” を「カム」とはどうしても発音できず「コム」と言っていました。原住民の子孫も沢山住んでいる。きっと独自の英語があるものと思われる。

このようなことを承知の上で、「(標準)アメリカ英語」が「(標準)イギリス英語」と違うところを書き出して見る。

イントネーション:
アメリカ英語は、イギリス英語ほどはピッチ(高低)の差がない。日本人にとってアメリカ英語は、悪くいえば、少し「ダラシナイ」響きがする。一方イギリス英語は「気取っている」感じを与える。

発音:
大抵の辞書では個々の単語の発音表示が「米」「英」の2通り表示されているが(勿論共通のものも多い)、次の3つは大きな違いである(著者のPCでは発音記号の全部は表示できないので、細かいところは辞書で確認乞う)。
“can’t” をアメリカ英語では「キャーント」のように発音するが、イギリス英語では「カーント」と発音する。”a” の文字がアメリカ英語では「エ+ア」、イギリス英語では「アー」。
“hot” はアメリカ英語では「ハット」、イギリス英語では「ホット」。”a” の文字がアメリカ英語では「ア」、イギリス英語では「オ」で発音される。
アメリカ英語では綴りに “r” があれば発音するが、イギリス英語では “r” の後に母音がなければ発音しない。”car” はアメリカでは「カアア」の感じ。イギリス英語は「カー」。しかし、ボストンの人は今でも「カー」と発音する。

綴り:
アメリカ英語では “center” ”meter” ”theater” のように “-er”、 イギリス英語では“centre” ”metre” ”theatre” のように “-re” 。その他 color vs. colour 等。これは、アメリカの方が英語後発国であり、綴りと発音の一致がより徹底したからであろう。

単語の意味:
同じ語であっても意味するものが異なったり、あるものを意味するのに異なる単語が使われようになるのはよくあることである。具体例は2008年11月2日に掲載した「英単語品詞別使い方◆[名詞]」を参照乞う。

文法:
今日の英文法は1800年前後にマリーという英国人(弁護士)が出版した一連の文法書がベースとなっている。この文法書の考え方は「最良にして最も権威のある作家が用いて、一般に広く使用されている英語を標準英語とする」というものである(「英文法を知っていますか」 渡部昇一 文春新書)。

文法に関しては、流石に、アメリカ英語とイギリス英語での違いはほとんどない。あえて違いを捜せば次の通り。

イギリス英語ではアメリカ人が “I have a camera.” と言う場合 “I have got a camera.” と言う言い方をする(勿論 “I have a camera.” もある)。
“I have a camera.” の疑問文・否定文にはアメリカ英語では “do” が使われ “Do I have a camera?” “I do not have a camera.” となるが、イギリス英語では “Have I a camera?” “I have not a camera.” 但し、最近ではアメリカ式も使われるようになっているらしい。
アメリカでは “get” の過去分詞は “gotten”。アメリカで “got” を使ったら「教養のない人」と思われる可能性がある。
「要望・願望」を表す that-節の中でイギリス英語では “should” が使われる傾向が強い。アメリカ英語では “should” が省略され、動詞の原形が使われる傾向が強い。
慣用句的な表現で、イギリス英語では “the” を省く傾向が強い。「入院する」はイギリス英語では “go to hospital” アメリカ英語では “go to the hospital”。

英語の世界各地への拡がり

17世紀以降、イギリスの植民地政策の影響で、世界のさまざまな地域の言葉が英語に影響を与えた。一方、植民地化された地域の多くでは、英語がそこに住む人々の母語または第二言語となり今日の「世界語としての英語」への礎を築くことになる。

最初に、本国の「イギリス英語」を凌ぐようになった「アメリカ英語」を取り上げてみたいが、先ず歴史的な背景を見てみる。

北米大陸への入植

英国人が集団でアメリカにやってきたのは所謂「ピルグリムファーザース」が最初だと思っていたが実は違う。以下はネットで拾った情報を著者なりに編集したものである。

アメリカへの入植の試みは、やはり「金儲け(投資)」が目的で、英国人ウオルター・ローリーが最初だ。彼は1585年と1587年にノースカロライナ沖にあるロアノーク島への植民を試みた。

ローリーはアメリカ植民地を建設する計画を宣言し、イングランド国王エリザベス1世から土地を与えられた。彼はその土地を未婚の女王エリザベス一世にちなんで「バージニア(Virginia)」と命名した。”-ia” をつけると国名・地名を表す言葉となる(Albania, Columbia 等)。

だがロアノーク島に送り込まれた入植隊はその後行方不明となった。1602年行方不明となった植民者を求めて探検隊が派遣されたが、ただの1人も発見することはできなかった。ローリーの試みは失敗に終わったのである。本国イギリスでは、これによりしばらくは入植に投資するのに慎重になった。

1606年トマス・スミスを中心とするロンドン商人は北アメリカ大陸への植民を目指した。イングランド国王ジェームズ1世(エリザベス一世は 1603に没)は植民事業のための会社設立に勅許状を与え、スミスらは共同出資会社であるロンドン会社を設立した。間もなくロンドン会社はバージニア会社と名を改め、出資者を募った。そして同年12月、最初の植民者105人を北アメリカ大陸に送った。

渡航者104名(1名は死亡した)を乗せた3隻の船は、翌1607年バージニアのジェームズタウン島に到着した。植民者たちは入植に適した土地を求めてジェームズ川をさかのぼり、河口から約48キロメートルさかのぼった地点に上陸した。彼らはそこを入植地と定め、国王ジェームズ1世にちなんでジェームズタウンと命名した。ジェームズタウンは北アメリカ大陸におけるイギリスの最初の永続的植民地となった。

この場所はジェームズ川に突き出る半島となっており、先住民族の襲撃を防ぐには好都合な地形であった。しかしながらこの一帯は、潮水がせまる湿地であり、飲み水にも塩分が含まれ、またマラリアなどの疫病が発生しやすい地形であった。しかも入植者たちは、共同して生活の基盤を固める十分な用意もできていなかった。入植からわずか半年あまりで、入植者は飢えとマラリアで半分以下に減少した。

そのような混乱の中にあった入植者を救ったのは、ジョン・スミスであった。スミスは入植者に対して、全力で開拓にとりかかるよう説得を試み、入植地の実権を握った。スミスは先住民族と交渉して食料を取得した。また入植者には黄金をあさることをやめてトウモロコシなどの穀物を栽培させ、食料の確保に努めた。

これとは別に、信仰の自由を求めてピューリタンなどのキリスト教徒たちも北米に移住した。1620年には「ピルグリムファーザース」の一団がメイフラワー号に乗ってボストン南東のプリマス(Plymouth)に到着し、ニューイングランドに植民地を築いた。「ピルグリムファーザース」は本国の同じ名前の港を最後の寄港地にしたことから、アメリカでもその名前をつけたのである。

こうして18世紀前半には13の植民地ができ、本国からの独立の気運が次第に高まり、1776年に独立宣言。以降、国家としてだけでなく言語的にも本国からの自立が進んだものと考えられる。





発音・スペル・文法の変化

「英語の歴史」(寺沢 盾:中公新書)によれば、英語の歴史を調べてみると、語彙のみならず、発音・スペル・文法でも大きな変化を見ることができるそうです。しかし、専門的になり過ぎますので、ここでは例を簡単に紹介するだけにとどめます。

発音・スペルの両方が変化した例

“head(頭)” は、最初は “heafod(eの上にバーあり)” のスペルであった(「鉢の形をした」が原義)。当時 “f” は /v/ と発音されたので「ヘヴォド」のような発音であったと著者は想像する。それが “heved(ヘヴド?)→ “hed(ヘド?)” → “head [hed]” と変化した。

スペルはあまり変わらず発音が変化した例

“name [neim] 名前” は “nama: [a]の音” → “name [a:]の音” → “name [ei]の音” に変化。
“handkerchief(ハンカチ)” の “d” は当初発音されていたが、時の経過とともに、発音がしやすいように手抜きされ、発音されなくなってしまった。”handsome” “Wednesday” も同じ現象が起こったものである。

発音は同じでスペルのみ変化した例
“ship(船)” は、昔は “scip” のスペルであったが、11世紀のノルマン征服以降フランス式のスペルである “sh” が導入され、今日の姿になった。“sh” を見たらフランス式スペルだと思って下さい。

文法の変化

世界の言語を文法面で捉えると、ラテン語系のように「語形変化」で文法を表す言語と(例えばスペイン語では、英語の “I am” に相当するのは “Yo soy” であるが語形変化のお陰で “soy” の主語は “Yo” に決まっているので、通例は “Soy” ですませてしまう)、今日の英語のように「語順」で文法を表す言語に大きくは分けることができるが、英語の歴史は前者から後者への歩みを辿ったものと捉えることができよう。


以上で近代までの「英語の歩み」を終わる。
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