(2)イエス・キリストは実在したか
イエス・キリストのお墓は見つかっていないが文書記録があります。キリスト教の初期教会が伝える福音書です。代表的なものが新約聖書に収められている4つの福音書です。マルコによる福音書が一番古く、後からの福音書は先のものを参照して書いていると言われています。別の記録(例えばユダヤ教側の文書、ローマ側の文書)がないので弟子たちの創作だという見方も出来ますが、福音書で伝えるイエス像は比喩が豊富で、生き生きした印象を受け、ひとりの人間がそこにいるという手ごたえ、ありありとした人格の一貫性が感じられるので、実在しないのに想像で書くより、余程自然なので実在したと思われる、とこの本の著者は書いていますが、定説も「イエス・キリストは実在した」です。
この本の著者によれば「キリスト教は福音書によって成立したのではなく、福音書は、キリスト教が成立した後で、聖書に選ばれた」「キリスト教は、福音書が書かれる前に書かれたパウロの書簡によって成立した」「パウロは、その時にはもう、イエスは神の子だと確信していた」「パウロが、イエスの十字架の受難を意味づける教理を考えたので、ユダヤ教の枠におさまらない、キリスト教という宗教が成立した」「それが、福音書の編纂をうながした」とのことです。27日に掲載した「与うるは受くるより幸せなり」というイエスの言葉を紹介した場面もパウロの書簡の中にあります。
しかし福音書に書かれたイエス像がそのまま歴史上のイエスとはなりません。福音作者の創作も当然加わっているでしょう。キリスト教は(少なくともカトリックでは)「イエス・キリストを信じる」のであって「福音書に書かれたことをそのまま信じる」のではないので、これでも構わないわけです(神学的解釈は知りませんが)。
夫々の背景を持って書かれた福音書の「余分な」部分をはぎ取ってみた歴史上のイエス像は、「ナザレで生まれた(ベツレヘムで生まれたという説は、ベツレヘムが十二部族のうちユダ族に割り当てられた地域で、ダビデと縁が深いのでこれにこじつけた?)。父親は大工のヨセフで、母親はマリア。兄弟もいた。イエスも大工で地元のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に通い、旧約聖書をよく勉強していた。結婚していたかどうかは不明。30歳くらいでナザレを出て洗礼者ヨハネの教団に参加。そのあと何人かを連れて教団を離れ独自の活動を開始。ガラリア地方や、パレスチナの各地で説教を行い、パリサイ派(モーゼの律法の厳格な順守を主張)やサドカイ派(富裕層が多かったといわれる)とトラブルを起こした。そのあと、エルサレムに行き、逮捕され、裁判を受けて、死刑になった」
「処女懐胎」
預言者などが高齢や不妊の女性から特別の生まれ方をするという考えはキリスト教の専売特許ではなく、旧約聖書ではいくつもみられます(例えば士師記13章のサムソンの出生の経緯は新約聖書の「処女懐胎」と極めて似ていますので、これらがイエスに投影されたものと考えることもできます。新約聖書の中で一番古い「マルコによる福音書」には「処女懐胎」は出てこないで、イエスの青年期から始まっています)。
イエス・キリストのお墓は見つかっていないが文書記録があります。キリスト教の初期教会が伝える福音書です。代表的なものが新約聖書に収められている4つの福音書です。マルコによる福音書が一番古く、後からの福音書は先のものを参照して書いていると言われています。別の記録(例えばユダヤ教側の文書、ローマ側の文書)がないので弟子たちの創作だという見方も出来ますが、福音書で伝えるイエス像は比喩が豊富で、生き生きした印象を受け、ひとりの人間がそこにいるという手ごたえ、ありありとした人格の一貫性が感じられるので、実在しないのに想像で書くより、余程自然なので実在したと思われる、とこの本の著者は書いていますが、定説も「イエス・キリストは実在した」です。
この本の著者によれば「キリスト教は福音書によって成立したのではなく、福音書は、キリスト教が成立した後で、聖書に選ばれた」「キリスト教は、福音書が書かれる前に書かれたパウロの書簡によって成立した」「パウロは、その時にはもう、イエスは神の子だと確信していた」「パウロが、イエスの十字架の受難を意味づける教理を考えたので、ユダヤ教の枠におさまらない、キリスト教という宗教が成立した」「それが、福音書の編纂をうながした」とのことです。27日に掲載した「与うるは受くるより幸せなり」というイエスの言葉を紹介した場面もパウロの書簡の中にあります。
しかし福音書に書かれたイエス像がそのまま歴史上のイエスとはなりません。福音作者の創作も当然加わっているでしょう。キリスト教は(少なくともカトリックでは)「イエス・キリストを信じる」のであって「福音書に書かれたことをそのまま信じる」のではないので、これでも構わないわけです(神学的解釈は知りませんが)。
夫々の背景を持って書かれた福音書の「余分な」部分をはぎ取ってみた歴史上のイエス像は、「ナザレで生まれた(ベツレヘムで生まれたという説は、ベツレヘムが十二部族のうちユダ族に割り当てられた地域で、ダビデと縁が深いのでこれにこじつけた?)。父親は大工のヨセフで、母親はマリア。兄弟もいた。イエスも大工で地元のシナゴーグ(ユダヤ教の教会)に通い、旧約聖書をよく勉強していた。結婚していたかどうかは不明。30歳くらいでナザレを出て洗礼者ヨハネの教団に参加。そのあと何人かを連れて教団を離れ独自の活動を開始。ガラリア地方や、パレスチナの各地で説教を行い、パリサイ派(モーゼの律法の厳格な順守を主張)やサドカイ派(富裕層が多かったといわれる)とトラブルを起こした。そのあと、エルサレムに行き、逮捕され、裁判を受けて、死刑になった」
「処女懐胎」
預言者などが高齢や不妊の女性から特別の生まれ方をするという考えはキリスト教の専売特許ではなく、旧約聖書ではいくつもみられます(例えば士師記13章のサムソンの出生の経緯は新約聖書の「処女懐胎」と極めて似ていますので、これらがイエスに投影されたものと考えることもできます。新約聖書の中で一番古い「マルコによる福音書」には「処女懐胎」は出てこないで、イエスの青年期から始まっています)。