「社会人のための英語回路構築トレーニング自習帖」著者のブログ

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アルゼンチン旅行

アルゼンチン旅行(7)―最後の3日間は、ゆっくり過ごしました

4月11日(水)
朝、妻たちはスーパーで、牛乳・チーズ等約1ケ月間分の必要品の買い物。マテ茶を飲むポットもプレゼントした。

午後、娘たちに無償で自分たちが住むよりも広いスペースの家を提供して下さっている隣の大家さんを訪問。日本からのお土産を手渡した。約2時間半滞在。夫は19歳の時スペインより移民(現在82歳)。80歳の奥さんは今住んでいるところで生まれ育ったとのこと。昔はこの辺りは治安も良かったのにと嘆いておられた。6人の子供と12人の孫。お2人とも何とも言えない穏やかないい顔をしている。今日あるのは「神さまのお蔭」と常日頃口にしておられるとのこと。日本とのギャップを感じた。

午後8時からブエノスアイレス隋一と言われる「遊亀」で日本に興味を持っている宣教師たちを招いて日本食。11時閉店なのに10時半過ぎて来店する客もあり、これもラテン風?

途中で現地では有名な映画スターであるJuan Cruz Bordeu(母はポール・マカートニの元恋人)が女連れで入ってきた。皆トイレに行く風を装ってカウンターに座った彼の顔を見に行っていた。これは世界共通現象。

4月12日(木)
昼は、それから22時間かけてバスで研修に出かけるというカーボベルデ出身(アフリカの西沖に位置する。人口約50万人。1975年ポルトガルより独立)の宣教師がお別れに来てくれたので、昼食に蕎麦・さしみを御馳走。

夜は昨日の日本食に来られなかった宣教師たちを招いて韓国料理店へ。

4月13日(金)
朝散歩がてら近くのマーケットへ。道1つで雑然さが変わる。金曜日の午前中だが人が沢山出ている。南米に来たのだなと実感。

戻ってみるとマーケットに野菜を貰いに行っていた一行が帰って来ていた。こんなに沢山の野菜を毎週ただでくれるのかと思うと日本との根本的な違いを痛感。これから12ある共同体にトラックで配布しに行くとのこと。

昼は最後の昼食会:妻が日本食を10品準備。大勢の神父さん・宣教師たちが来てくれた。日本食は皆さん始めてだったらしいが極めて好評。美味しいものは美味しいらしい。近くに新鮮な魚を売る店もあり「さしみ」「天ぷら」が、これからきっと流行るだろう。

帰りは予約してあった席がキャンセルされて、夫婦が分かれての座席になっており、チェックイン時ひと悶着あったが、搭乗入口で再度交渉し隣り合わせの席をゲット。これも初体験。最後もラテン流にふりまわされたが、予定通り夕方ダラス・フォートワースへ飛び立った。帰りはホテルでの宿泊はない。飛行時間だけで合計24時間かけて成田へ。13日の金曜日出発だったが15日に無事帰国。神に感謝!!

アルゼンチン旅行(6)―義姉の死を知る

4月9日(月)朝7時過ぎに電話が鳴った。未だ誰も起きていない時間であり、不安がかすめた。というのは、日本を出発するにあたり2つの心配事があったからだ。1つは高齢で1人暮らしをしている母のことであり、もう1つはガンの末期にある義姉のことであった。

不安は的中した。義姉が亡くなったとの知らせであった。

この日の午後は我々夫婦を快く迎え入れてくれた宣教師たちを、お礼の意味を込めて「アサド・パーテイ(バーベキュウ・パーテイ)」に招待していた。「モレノ」にある広大な敷地の中に椅子とテーブルを並べて行われた。牛肉の国アルゼンチンでも最近はインフレで牛肉の値段が高騰しており皆さん大変喜んで下さった。

「アサド・パーテイ」の後、野外でミサが行われたが、その中で義姉の追悼が行われた。日本より先にアルゼンチンでも「お葬式」をしたことになった。併せて、我々夫婦の帰途の安全祈願も行われた。

アルゼンチン旅行(5)―観光

観光第1弾は「タンゴ発祥の地」と言われるプェルト・マデーロ地区に出かける。運河沿いに散策。運河に沿って建ち並ぶレンガ造りの1階にレストラン、2階は事務所が入っている。昼食は、そのレストランの1つで、娘の希望で中華料理店へ。こちらでは一流と言われているが、正直そんなに美味しくはなかった。しかし娘は大満足。

モンセラート地区に戻ってエビータがそのバルコニーから演説したと言われる大統領府(カサ・ロサーダ⇒文字通りピンク色)、国会議事堂等を車中から見て、5時から大聖堂(カテドラル・メトロポィターナ)のミサに出席。イエスの受難について長々と読むミサだった。

観光第2弾。ボカ地区(昔は船乗りの町として栄えた。La Boca は「河口」の意)に出かける。サッカーフアン憧れのボカ・ジュニアーズ・スタジアムの横を車で通る。今日は試合があるらしく、若い係員が大声で怒鳴りながら車の整理をしていた。

日本のテレビでもよく紹介されるカミニート(「小徑」の意)では道に並ぶ家々の壁・テラス・屋根が大胆に塗り分けられている。民芸品等の市場が並ぶ。そこで買い物。長男一家のためにお揃いのボカ・ジュニアーズのTシャツを購入(孫2人はサッカーが好きなので喜ぶであろう)。

昼食は日本食だが「いまいち」。しかし娘は久しぶりの日本食に大満足。気持ちはよく分かる。

観光第3弾。マテデーロに出かける。屋台のようなお土産さんが立ち並ぶ。皮製品が安いということで著者はベルトを購入。

道に椅子を並べたところで、日よけで太陽光を遮って昼食を食べながら伝統的な踊りを観賞。3時頃からガウチョ(カウ・ボーイ)による馬のショーを見物。日本の「流鏑馬」みたいなものだが、的を射るのではなく走りながらリングの穴に矢を通すもの。

元劇場を改装した豪華な本屋に立ち寄る。とても本屋とは思えない雰囲気で、バルコニーにゆったり座って1日でもタダで本が読める。これもラテン流か。

美味しいアイスクリームを食べて(これが安い!)、「世界一大きな花の銅像」「エビータの墓」を車中から見る。

夜は案内してくれた韓国人の宣教師のために韓国人街にある韓国料理屋(客は韓国人だけで言葉も韓国語)。お土産にその宣教師にはキムチを大量にプレゼント。彼女は「これで生き返る」と大感激。

観光第4弾。ルハンの聖堂を訪問。アルゼンチンの守護神サンタ・マリア・デ・ルハンが祀られており、毎年何百万人のアルゼンチン人が訪れるとのこと。広大な広場がある。世界中のマリアを見た後、ミサに参加。一昨年ガン手術の際にお世話になったお守りの「油」もここで頂いたものなので、マリア様に厚くお礼を申し上げた。

アルゼンチン旅行(4)―帰ってみたらブエノスアイレス近郊は嵐で停電でした

予定していた宿泊先への帰途に、ブエノスアイレスの州都ラ・プラタ(ブエノスアイレス市の南東56キロ)にある「ラ・プラタ(銀の意)のカテドラル」のミサに参加。イエスが死んだということで、常日頃聖体が置かれている場所からの聖体の移動が行われ、信徒たちがお別れに列をなした。この聖体の移動は、祖母の田舎での野辺送りを思い出させてくれた。非常に伝統的なミサだったとのこと。まだ木曜日なのに何故イエスは死んでしまったのかと思ったが、昔はミサが深夜に行われたため既に金曜日ということらしい。

携帯電話で連絡を取ったところ、今日の宿泊先は昨日の強風で停電とのことであったが、時間が遅かったので、そのまま予定通り宿泊することに。真っ暗な町を通るのは不気味だった。出迎えてくれた宣教師の案内で、ローソクを頼りに部屋に辿りつく。電気はなかったがタンクに貯めてあった水のお蔭で、水もお湯もOK。久しぶりにシャワーを浴びる。

この強風はすさまじく(一部竜巻状況もあった?)、翌日明るくなって分かったのだが、至る所で街路樹がなぎ倒され、通行止めの箇所も。1週間経っても未だ停電のところがあったらしい。停電はよくあることだそうだが、こんな酷いのは初めてとのこと。これで道中3日続いて異常が続いたことになる。キリストは死後3日で復活した。明日は大丈夫だろう。

アルゼンチン旅行(3)―十字架の道行き

翌日ブエノスアイレスから南に、車で約5時間のタンデイル(Tandil)へ向かう。タンデイルは「豚汁(とんじる)」をローマ字で書いて(Ton-jilu)アメリカ式発音する([o] は「ア」と発音)と覚えると忘れない。タンデイルは観光地であるが、キリスト教徒たちには聖週間(復活祭前の1週間)の「十字架の道行き」で有名とのこと。復活祭は春分後の満月直後の日曜日に行われ、今年は4月8日。

夜の8:30からローソクを持って、この「十字架の道行き」に参加した。

「十字架の道行き」とは、イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活までの15の場面を、個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げるものである。1つ1つの場面が石碑に彫られている。その都度足を止め、マイクの先導で、全員で、スペイン語で祈り、歌って、そして又次へと進む。著者は、スペイン語は全く理解できないが、娘が「○○の場面」と通訳してくれたので、聖書の箇所を思い出しながら進んだ。丁度我々が頂上に辿りついた時に、私達を待っていてくれたかのように山の一番上から司教さんの説教が始まった。十字架に架けられたイエスの象は巨大で、圧倒された。

約5千人が参加したと翌日聞いた。今年のテーマは「家族の道行き」ということで夫婦連れ・子供を含む家族連れも多かった。約2時間の道行きだったが、真っ暗な中を、ローソクだけで崖を歩いて登って行くので著者にも苦難の道行きであった。

司祭館に泊めて頂いたのだが、戻ってシャワーを浴びようとしたが熱湯しか出てこない。トイレも流れない。しかしイエスの道行きに比べれば何のことはないと思えた。翌日起きた時には水も出るようになっていた。近くに住む司祭館の面倒を見ている人が朝早く直しに来たらしい。

朝食後再度「十字架の道行き」を辿る。改めて巨大なイエスの象に圧倒された。その後、繁華街に出て昼食。アルゼンチン特有の「盛り合わせ(チーズ、サラミ等)」を肴に地元のビールを飲む(泡がでないのが珍しい)。食べきらなくて、残った分は「持ち帰り」にしてもらった。この間に大雨・雷。しかし、店を出る頃にはスッカリ晴れた。この嵐でブエノスアイレスでは大変なことが起っていたのだが、この時は気にも留めていなかった。

この日は、別のところに泊めて頂いたのだが、今度は「水」は出るのだが「お湯」がでない。2日続けてシャワー無し。今回のアルゼンチン旅行は機中から始まって初体験の連続だ。
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