「英語の歴史から考える 英文法の『なぜ』」(朝尾幸次郎 大修館書店)を読んで、著者は、現在では当然に思われる規則性や不規則性も歴史的な背景があることを知りました。そこで、もう少し英語の歴史について知ろうと『英語の「なぜ」に答えるはじめての英語史(堀田隆一 研究社)』を手に入れました。著者の持っている散発的な知識をもう少しまとまりのあるものとすべく取り組んでみたいと思います。
(6) 語彙の変化
『英語の「なぜ」に答えるはじめての英語史(堀田隆一 研究社)』によれば、初期古英語(700−1100年)の頃の語彙は、ローマ人との交易を通じた接触によりラテン語から wine, street, tile などの単語を借りていた他、ブリテン島に渡ってからも先住民の話していたケルト語からごく少数の単語を借りていたことを除けばほぼ100%ゲルマン系であった。その後、特に7世紀半ば以降キリスト教の浸透を通じて、関連するラテン借用語が450語ほど英語に流れ込んだ。例を挙げれば「abbot(大修道院長)」「altar(祭壇)」「angel(天使)」「anthem(賛美歌、聖歌)」「candle(ろうそく)」「canon(規範)」「cleric(聖職者)」「deacon(助祭、執事)」「demon(悪魔)」「disciple(使徒)」「gloss(注解)」「grammar(文法)」「hymn(賛美歌、聖歌)」「martyr(殉教者)」「mass(ミサ)」「master(主人)」「minister(大寺院、大聖堂)」「monk(修道士)」「noon(日の出から9時間目)」「nun(修道女)」「palm(しゅろ)」「pope(ローマ教皇)」「priest(司祭)」「prophet(預言者)」「psalm(賛美歌、聖歌)」「school(学校)」「shrive(告解する、告解を聞く)」「temple(神殿)」「verse(韻文)」。古英語語彙全体におけるこれらの借用語の比率は微々たるものですが、この時期のまとまった量のキリスト教用語の借用は、英語が語彙借用に向けて大きな一歩を踏み出した出発点でした。
同上の書籍では「ラテン借用語」と書いていますが、新約聖書はギリシャ語で書かれたという事実から、語源まで遡ればその多くがギリシャ語に辿りつくハズです。日本聖書協会によると聖書が何語で書かれたのかについて次のように述べています。
『旧約聖書はヘブライ語で記されている。ごくわずかの部分はアラム語である。(エズラ記4:8〜6:18、7:12〜26、ダニエル書2:4〜7:28その他)。イスラエル民族はカナンの地(パレスチナ)に定着してからヘブライ語を使用したが、後にアラム語が使われるようになった。このアラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。エズラ記のアラム語部分はペルシア王との間に交わされた手紙であるが民衆は理解できなかったことを示す記録が列王記18:26にある。アラム語は次第にイスラエルに浸透するが、バビロニア捕囚はそれに大きな役割を果たしたと考えられる。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している。「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)がそれである。
新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ−と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ−・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ−・ギリシア語で記されたのである。ヘレニズム文化の中心はエジプトのアレクサンドリアであったが、この地で翻訳された旧約聖書のギリシア語訳はコイネ−・ギリシア語であった。この聖書はセプトゥアギンタ(70人訳)と呼ばれている。新約聖書に引用されている旧約聖書はこのセプトゥアギンタによっている』
次に、8世紀後半からのバイキングの襲来(北欧スカンジナビアで通商や貿易を営んでいた人たちが富を求めて近隣諸国に攻め入った。卓越した航海技術を持っていた。)と、続くその一派のデーン人(現在のデンマークおよびスウェーデンのスコーネ地方に居住した北方系ゲルマン人の一派である。現在のデンマーク人の祖先にあたる。ヴァイキング時代にイングランドおよび西ヨーロッパ一帯に侵攻した)のイングランド定住により、英語は彼らの言語である古ノルド語の影響を受けることになります。古ノルド語と英語は同じゲルマン語派に属し、文化・風習においても共通点も多かったようです。そのため古ノルド語の語彙が大量に流れ込みました。英語をしゃべる人々と古ノルド語をしゃべる人々が日常接触していたので、日常的な語彙が流入しました。例えば「both, call, die, egg, get, give, hit, raise, same, seat, seem, sky, steak, take, their, them, they, though, ugly, want, wrong」等我々にお馴染なものが並んでいます。古ノルド語からの借用語は古英語期を中心に2000語ほど流入し、現代英語にも900語程度が生き残って、常用されているそうです。辞書で語源を調べると「古ノルド語」という言葉に時々出会いますが、歴史的な位置づけは以上のようなものです。
ノルマン征服(1066年)を経て中英語期(1100−1500年)に入ると、フランス語から英語への借用語の波が押し寄せました。背景としてラテン語系の言葉がノルマン征服以降、イギリスの朝廷で使われ始めたことを挙げることができます。流入したジャンルは多岐に亘りましたが一般庶民の間では余り使われていなかったと思われます。交易上の接触からオランダ語やフラマン語(現在ベルギーの一部で使われています)からの借用語も入ってきました。
ルネッサンス期(1300 – 1600年)になると、古典語への関心が高まり、イングランドの知識人たちはラテン語やギリシャ語にかぶれた言語生活を送っていました。特に16世紀後半だけでも、ラテン語の単語は12000語流入し、英語の語彙史において最も流入が著しかった時代でした。中英語には見られなかったギリシャ語からの直接流入が突如増加しました。この時代のラテン語やギリシャ語からの流入語は専門用語ばかりだったようで一般庶民には難解すぎたようです。また、この時代は交易を通じて、フランス語、スペイン語、ポルトガル語からの借入も増えました。
後期近代英語期(1700−1900年)になると、イギリスが世界中に植民地を広げたことや、アメリカが新大陸で先住民の言語を始めとして多くの言語に触れ、英語の借入語の源泉は一気にグローバル化しました。アフリカ、南アメリカ、オセアニア、日本を含めたアジアの諸言語から幾多の語彙を借用しましたが、語彙借入の勢いは減退し、むしろ供給する側にまわって現在に至っています。
語彙に関する話題も後日別途取り上げる積りです。
(6) 語彙の変化
『英語の「なぜ」に答えるはじめての英語史(堀田隆一 研究社)』によれば、初期古英語(700−1100年)の頃の語彙は、ローマ人との交易を通じた接触によりラテン語から wine, street, tile などの単語を借りていた他、ブリテン島に渡ってからも先住民の話していたケルト語からごく少数の単語を借りていたことを除けばほぼ100%ゲルマン系であった。その後、特に7世紀半ば以降キリスト教の浸透を通じて、関連するラテン借用語が450語ほど英語に流れ込んだ。例を挙げれば「abbot(大修道院長)」「altar(祭壇)」「angel(天使)」「anthem(賛美歌、聖歌)」「candle(ろうそく)」「canon(規範)」「cleric(聖職者)」「deacon(助祭、執事)」「demon(悪魔)」「disciple(使徒)」「gloss(注解)」「grammar(文法)」「hymn(賛美歌、聖歌)」「martyr(殉教者)」「mass(ミサ)」「master(主人)」「minister(大寺院、大聖堂)」「monk(修道士)」「noon(日の出から9時間目)」「nun(修道女)」「palm(しゅろ)」「pope(ローマ教皇)」「priest(司祭)」「prophet(預言者)」「psalm(賛美歌、聖歌)」「school(学校)」「shrive(告解する、告解を聞く)」「temple(神殿)」「verse(韻文)」。古英語語彙全体におけるこれらの借用語の比率は微々たるものですが、この時期のまとまった量のキリスト教用語の借用は、英語が語彙借用に向けて大きな一歩を踏み出した出発点でした。
同上の書籍では「ラテン借用語」と書いていますが、新約聖書はギリシャ語で書かれたという事実から、語源まで遡ればその多くがギリシャ語に辿りつくハズです。日本聖書協会によると聖書が何語で書かれたのかについて次のように述べています。
『旧約聖書はヘブライ語で記されている。ごくわずかの部分はアラム語である。(エズラ記4:8〜6:18、7:12〜26、ダニエル書2:4〜7:28その他)。イスラエル民族はカナンの地(パレスチナ)に定着してからヘブライ語を使用したが、後にアラム語が使われるようになった。このアラム語はアッシリア、バビロニア、ペルシアで用いられていた。エズラ記のアラム語部分はペルシア王との間に交わされた手紙であるが民衆は理解できなかったことを示す記録が列王記18:26にある。アラム語は次第にイスラエルに浸透するが、バビロニア捕囚はそれに大きな役割を果たしたと考えられる。ギリシア支配時代以降ヘブライ語は聖書その他の宗教文書に用いられ、一般にはアラム語が日常化していった。イエス時代のパレスチナではアラム語が用いられていた。福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している。「タリタ・クム」(マルコ5:41)「エッファタ」(同7:34)「アッバ」(同14:36)「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(同15:34)がそれである。
新約聖書はギリシア語で記された。このギリシア語はヘレニズム時代に地中海世界で共通語となったコイネ−と呼ばれるギリシア語で、古典ギリシア語とは異なるものである。使徒たちによってキリスト教が伝えられていったのは、このコイネ−・ギリシア語の世界であったので、新約聖書はコイネ−・ギリシア語で記されたのである。ヘレニズム文化の中心はエジプトのアレクサンドリアであったが、この地で翻訳された旧約聖書のギリシア語訳はコイネ−・ギリシア語であった。この聖書はセプトゥアギンタ(70人訳)と呼ばれている。新約聖書に引用されている旧約聖書はこのセプトゥアギンタによっている』
次に、8世紀後半からのバイキングの襲来(北欧スカンジナビアで通商や貿易を営んでいた人たちが富を求めて近隣諸国に攻め入った。卓越した航海技術を持っていた。)と、続くその一派のデーン人(現在のデンマークおよびスウェーデンのスコーネ地方に居住した北方系ゲルマン人の一派である。現在のデンマーク人の祖先にあたる。ヴァイキング時代にイングランドおよび西ヨーロッパ一帯に侵攻した)のイングランド定住により、英語は彼らの言語である古ノルド語の影響を受けることになります。古ノルド語と英語は同じゲルマン語派に属し、文化・風習においても共通点も多かったようです。そのため古ノルド語の語彙が大量に流れ込みました。英語をしゃべる人々と古ノルド語をしゃべる人々が日常接触していたので、日常的な語彙が流入しました。例えば「both, call, die, egg, get, give, hit, raise, same, seat, seem, sky, steak, take, their, them, they, though, ugly, want, wrong」等我々にお馴染なものが並んでいます。古ノルド語からの借用語は古英語期を中心に2000語ほど流入し、現代英語にも900語程度が生き残って、常用されているそうです。辞書で語源を調べると「古ノルド語」という言葉に時々出会いますが、歴史的な位置づけは以上のようなものです。
ノルマン征服(1066年)を経て中英語期(1100−1500年)に入ると、フランス語から英語への借用語の波が押し寄せました。背景としてラテン語系の言葉がノルマン征服以降、イギリスの朝廷で使われ始めたことを挙げることができます。流入したジャンルは多岐に亘りましたが一般庶民の間では余り使われていなかったと思われます。交易上の接触からオランダ語やフラマン語(現在ベルギーの一部で使われています)からの借用語も入ってきました。
ルネッサンス期(1300 – 1600年)になると、古典語への関心が高まり、イングランドの知識人たちはラテン語やギリシャ語にかぶれた言語生活を送っていました。特に16世紀後半だけでも、ラテン語の単語は12000語流入し、英語の語彙史において最も流入が著しかった時代でした。中英語には見られなかったギリシャ語からの直接流入が突如増加しました。この時代のラテン語やギリシャ語からの流入語は専門用語ばかりだったようで一般庶民には難解すぎたようです。また、この時代は交易を通じて、フランス語、スペイン語、ポルトガル語からの借入も増えました。
後期近代英語期(1700−1900年)になると、イギリスが世界中に植民地を広げたことや、アメリカが新大陸で先住民の言語を始めとして多くの言語に触れ、英語の借入語の源泉は一気にグローバル化しました。アフリカ、南アメリカ、オセアニア、日本を含めたアジアの諸言語から幾多の語彙を借用しましたが、語彙借入の勢いは減退し、むしろ供給する側にまわって現在に至っています。
語彙に関する話題も後日別途取り上げる積りです。